SSブログ

足のあるイルカからクリニクラウンまで [ANCHORの庭]

    11月6日のスーパーニュース・アンカーは、冒頭に「足のあるイルカ発見」のニュースを、中継を挟んでお届けしました。進化か退化かということよりも、とりあえずは突然変異で先祖返りしたということですね。しかし、ヒレの部分から骨格が見つかったりしたら、今以上の大騒ぎになること必至です。

   その他のニュース。 イラクのフセイン元大統領に死刑判決。各紙各局で散々言われているように、これは、アメリカの中間選挙で敗北間違いなしといわれているブッシュ共和党政権が、少しでも勢力を挽回するために仕組んだ政治ショー以外の何ものでもない。裁判の形式を取っているけど、普通の意味での裁判ではない。判事はイラク政府が任命しているので政治からの独立性があるとは言えないし、フセイン元大統領の弁護士は三人も殺害されている。極論すれば、今回の「裁判」は、内戦下で行われてきた裁判形式のリンチのようなものですね。フセインが正しいわけではないだろうけど、この裁判はインチキだと思います。この「判決」は、ブッシュ大統領のためにはなっても、イラク国民のためになることはなさそう。なにしろ、内戦状態は収まらないどころか激しさを増すばかり。フセインが死刑になろうがなるまいが、アメリカ兵が一日4人ずつ殺されていくような厳しい状況は終わりそうにない。いったい、イラク人はこれまでに何人殺されたのだろう。

 特報アンカーは、「小児病棟で行われている心のケア」でした。一つは、チャイルド・ライフ・スペシャリストと言われる職業で、番組では宮城県の県立子ども病院で実際に常勤している女性を取り上げていました(チャイルド・ライフ・スペシャリストが勤務する病院は全国で八つ)。この仕事は、「闘病や慣れない病院生活におけるこどもの精神的負担をできるかぎり軽減し、こどもの成長・発達を支援する専門職」と説明されている(浜松医科大学小児病棟で勤務するチャイルド・ライフ・スペシャリスト、世古口さやかさん)。
http://www.e-switch.jp/total-care/samazama_htmls/child.html

 日本の国家資格ではないので、アメリカなどに留学して有資格者になる必要があり、また、報酬を確保することが難しいなどの問題がある。

 もう一つは、クリニクラウン。クリニック(病院)とクラウン(道化師)の合成語で、日本クリニクラウン協会によれば、こんな説明がされている。

 「クリニクラウンは、入院生活を送るこどもの病室を定期的に訪問し、遊びとユーモアを届け、こどもたちの笑顔を育む道化師のことです。クリ二クラウンは、優れた表現者であるとともに、こどもとの接し方、こどもの心理、保健衛生や病院規則にも精通したスペシャリストです。クリニクラウンの技術は、道化師の芸を披露するためのものではなく、こどもたちの心に寄りそうためのものです。活動の主役はあくまで「こども」。病気の治療のために様々な制限の中で入院生活をしているこどもたちがおもいきり笑い、主体的に遊ぶことのできる環境をつくること、それがクリニクラウンの役割です。」
http://www.cliniclowns.jp/04_about_cliniclowns.html

 チャイルド・ライフ・スペシャリストもクリニクラウンも、小児医療の現場で、治療の実を上げることを目的として活動している存在として、非常に有益で、効果もあるのだと思いますね。この話を知って私が考えたのは、しかし、医療の現場というのは、小児病棟に限らず、医師だけでは成立しないのだということでした。

 例えば、今、大変大きな問題になっている移植医療の世界。9年前に臓器移植法が制定され、一応「脳死」が人の死として認められたにもかかわらず一向に臓器移植の数が増えていかないという現状があります。そしてそのことが、臓器売買や病気の腎臓を移植することの正当化に利用されたりしている。しかし、そうした「言い訳」をすればするだけ、移植医療自体に「胡散臭さ」を感じとる人が増えてしまうということが起こっている。

 単純化していえば、愛媛の宇和島徳洲会病院と万波誠医師を中心の「瀬戸内グループ」が起こした問題の根源は「腎臓摘出」と「移植」が同じ医師によって行われているところにある。「摘出」と「移植」が同じ医師によって行われるとき、移植に伴うモラルの問題は一人の医師に委ねられてしまい、易々と「常識」を越える判断が下されてしまう。生体腎移植には常にその問題がつきまとうわけだけれど、日本臓器移植ネットワークがかかわる国内の死体腎移植の場合には、常に移植コーディネーターという存在が関与することになる。そこが実は決定的に重要なことなのに、そのことを知る人は少ない。

 移植コーディネーターは、「救急医療」と「移植医療」のそれぞれに対する信頼を確保するという大きな使命を負っている。なんとか患者の命を助けようと必至に人工呼吸を続ける医師が、ある時点で「この人はもうダメだから、臓器移植に使いましょう」と、クルっと方向転換したらどうだろう。そんな医師は信用されないし、まともな医師には不可能なことだ。コーディネーターであれば、間もなく遺族となってしまう患者家族に対して、「患者は臓器提供の意志を表明している」ことと、「その遺志を生かして臓器提供に協力して欲しい」旨、説得することができる。患者が死後の臓器提供の意思を表明していても、家族が拒否するケースが多いことが、移植が進まない要因の一つになっているので、このような移植コーディネーターの仕事が重要になってくる。
* 「臓器移植の情報サイト」
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/navi/004.html

 色々困難が伴うけど、生体移植についても、その道筋を記録し、公開し、また第三者を関与させて客観化するような仕組みを作れないだろうか。例えば、コーディネーターが関われるようにできないものだろうか。因みに、今週木曜日のジャムザワールドでは、現役の移植コーディネーターをスタジオにお招きして、様々なお話を伺う予定です。どんな話が飛び出すか、、、。


 


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

メルマガ登録・解除
 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。