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天安門事件をご存じですか?(2) [uttiiの電子版ウォッチ]

引き続き、天安門事件直後の中国を取材した時の話です。前回は、北京の空港に着いたところまででしたね。今から27年前、89年の6月10日のことです。

北京空港からタクシーに乗りました。運転手さんは、私たちが取材に来たことを十分理解している方でした。早速、緊張の中で、取材開始です。街中に入ると、ディレクターは車内でカメラを回し始めます。カメラといっても、民生機、つまりは家庭用のビデオです(ワイドレンズを装着したもの)。タクシーの中でも、撮影しているのが分かると警察に見咎められる危険性があるので、ディレクターはシートに身体を沈み込ませ、ギリギリ、カメラだけを上に出して撮影。私もマイクを手に、目に映ったものを喋り込むようにしていました。そのマイクもワイヤレスではなく、カメラとつながった民生用の小さいものでした。

激しい衝突があったと言われた軍事博物館前を目指していたときです。途中の交差点で、路上にいた警察官がこちらを見ています。突然、ピーっと警笛を吹き、こちらを指さしました。撮影しているのが見つかってしまったようです。タクシーの運転手さんは委細構わず、既に赤信号に変わった交差点を強行突破、事なきを得ました。クルマを止められていたら、その段階で取材は終わっていたかもしれませんでした。

軍事博物館前には焼けただれた軍用車両が1台、そのままになっていましたが、それ以外に事件の影響らしきものは見当たりません。綺麗に片付けられていたのです。最も大勢の学生・市民が殺されたとされた西端(シータン)も、クルマの中から見る限り、どうということもありません。“秩序”はあっという間に回復させられたということなのでしょう。溜息が出ました。

ホテルは日本のビジネスホテルにそっくりの作りでした。おそらくは日本の資本だったのでしょう。当然ですが、客はほとんどおらず、中国人の若い従業員が暇そうにしていました。流れ弾でしょうか、上の方の階に被弾した場所があり、撮影させてくれました。

深夜、部屋で寝ていると、ゴーという低い唸り声のような音で目が覚めました。窓から外を見ることはできませんでしたが、キャタピラーがアスファルトを叩く特徴的な音が聞こえ、目の前の通りを何台もの戦車が移動しているようでした。郊外の基地に引き上げる途中。そんな感じでした。うまく説明できないのですが、無性に腹が立ったことを覚えています。

北京は一泊だけで、翌日には香港に戻る予定。月曜日の中継に備えなければなりませんでした。痺れるような瞬間がやってきた2日目の取材については、また次回ということに。

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