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天安門事件をご存じですか?(4) [uttiiの電子版ウォッチ]

27年前の北京取材について書いてきました。今回が最後の4回目です。その後も、北京を含め、中国へは何回か取材で訪れていますが、このときほど、強い印象が残った旅はありませんでした。

さて、取材というと、何か特別で、凄いことのように感じられる方がいらっしゃるかもしれませんが、所詮は「見て回り、聞いて回る」こと。しかも、少なくとも当時の常識でいえば、私のように経験も識見も著しく不足している人間が押っ取り刀で出掛けていき、対象のごく一部に触れただけでとって返し、そこで得たものを「リポート」と称して視聴者に返していく、そんなことに過ぎないのです。

「群盲象をなぜる」の喩えの通り、1人1人の抱いた感想などはごく一部をデフォルメした、不正確極まりないものであることが多い。その意味で、当時の私の「取材の成果」などは取るに足らないものだということをお断りした上で、それでも、この27年前の取材の最後に出くわした映像についてお話しすることを、お許し頂きたいと思います。

わずか一泊二日の“取材の旅”を終え、香港に戻るため、北京の空港に向かいました。翌日の早朝は香港から生中継で出演することが決まっています。空港待合室には、10分ほどの短いビデオが流れていて、吸い寄せられるように見入りました。

確か「暴乱之真相」というタイトル。

天安門事件で学生らはいかにひどいことをしたか訴える内容で、確か白黒。繰り返し同じものが流されていたという記憶です。全編にわたってナレーションが付けられており、中国語は分かりませんでしたが、映像とテロップを見て、中国政府が言いたいことはだいたい分かりました。画面下に「北京已発生厳重的反革命暴乱」というような文字が出てくれば、日本人なら大凡の理解はできます。已に国際的に孤立しつつあった中国政府が、軍による鎮圧の正当性を主張し、民主化運動は反革命分子が扇動したものだというのです。

驚いたのは、民主化運動の学生リーダーたち、王丹や柴玲、ウーアルカイシの日常の姿がカメラで捉えられていたことです。彼らが食事をしている様子は、監視カメラの映像のようでした。ハンガーストライキを組織していながら、運動の幹部たちは高級なレストランで美味いものをたらふく食っている。そんな薄汚い奴らなのだというような攻撃が為されていたようでした。

ずっと前から幹部らは常に監視され、映像を撮られ、こんな宣伝映画が作られていたということに衝撃を覚えました。なんということだろうか…。また、無性に腹が立ってきました。

香港からの生中継は無事に済みました。しかし、おそらくは北京で食べた屋台の揚げパンのせいで腹を下してしまい、出演中は平静を装っていましたが、その前後にはトイレに駆け込まざるを得ないという状態。しばらくは、下腹に北京の“痛み”のようなものが残っていました。

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以上は、12月1日に配信した<uttiiの電子版ウォッチ>の冒頭部分をもとに、加筆したものです。
 
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天安門事件をご存じですか?(3) [uttiiの電子版ウォッチ]

前回は、北京初日の話でした。今回は、いよいよ2日目の取材についてです。

その朝は、早朝から動きました。まだ人通りの少ない時間帯にしかできなさそうな、ある作業が必要だったのです。リポーターにとって必須と言ってもいい、「立ちレポ」を撮らなければなりませんでした。「確かに現場にやってきたぞ」という、存在証明のようなものでもあります。

事件から1週間後の日曜日、6月11日の朝6時頃でしたか、ディレクターとともにホテル近くの市街地に徒歩で向かいました。驚いたことに、近くの公園には太極拳をやっている人たちがいたのです。何があっても生活のリズムを変えない人たちがそこにいました。

長閑さが漂うなか、しかし、簡単にカバンの中からカメラを取り出して撮影を始めるわけにはいきません。警察に見つかればカメラは没収されるでしょうし、下手をすれば拘束されるかもしれない。怖いのは警察だけではありません。以前にお話ししましたように、市民は既に体制側に寝返ってしまった後ですから、通報されるかもしれない。

そして、これは北京の街角に立って初めて分かったことですが、警察官(民警?)が20人くらいの隊列を組んで、頻繁に当たりを巡回しているのです。一回通り過ぎれば、次にやってくるまでに少なくとも10分くらいはありそうでした。「鬼の居ぬ間に洗濯」ではないですが、警察隊が通り過ぎるのを待って、慌ててリポートを撮ることに。

リポートというのは緊張する仕事です。私は特に下手くそでしたから、しょっちゅう間違えたりします。言い淀んだり、つっかえたり…。それでも、普段は何回でもやり直しがきくので、なんとかやりおおせることができる。でも、ここではそれは許されない。長い時間、外でカメラを回していること自体が危険なのです。幸い、このときは1回で、確か2分近い長いリポートを一言も間違えず、しかも終始カメラ目線で語りきることができました。中身はもう覚えていませんが(笑)。後で、本当に緊張すれば何でもできるものだなあとつくづく思いました。

午後、市場に行きました。死んだような北京の街の中で、市場だけは活気に溢れていました。モノを売り買いすることに熱中している時、人間は本当に生き生きとしています。市場の喧噪の中で、こちらもようやく人間らしい気持ちを取り戻せたような気がしました。

市場では1人の若い女性に、英語で声を掛けられました。何を話したか覚えていませんが、片言で数分。少なくとも、事件のことにはお互い全く触れませんでした。彼女は、外国人と何かを話したくて仕方がないような様子でした。切羽詰まったようなその表情は、事件とは全く関係のないものだったのかもしれませんが、どこか、助けを求めるような直向(ひたむ)きさに、胸を衝かれるような思いでした。

その日、私たちは北京を後にして、香港に戻ることになります。北京の空港では、驚くような映像を眼にすることになります。この続きはまた次回ということで。

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天安門事件をご存じですか?(2) [uttiiの電子版ウォッチ]

引き続き、天安門事件直後の中国を取材した時の話です。前回は、北京の空港に着いたところまででしたね。今から27年前、89年の6月10日のことです。

北京空港からタクシーに乗りました。運転手さんは、私たちが取材に来たことを十分理解している方でした。早速、緊張の中で、取材開始です。街中に入ると、ディレクターは車内でカメラを回し始めます。カメラといっても、民生機、つまりは家庭用のビデオです(ワイドレンズを装着したもの)。タクシーの中でも、撮影しているのが分かると警察に見咎められる危険性があるので、ディレクターはシートに身体を沈み込ませ、ギリギリ、カメラだけを上に出して撮影。私もマイクを手に、目に映ったものを喋り込むようにしていました。そのマイクもワイヤレスではなく、カメラとつながった民生用の小さいものでした。

激しい衝突があったと言われた軍事博物館前を目指していたときです。途中の交差点で、路上にいた警察官がこちらを見ています。突然、ピーっと警笛を吹き、こちらを指さしました。撮影しているのが見つかってしまったようです。タクシーの運転手さんは委細構わず、既に赤信号に変わった交差点を強行突破、事なきを得ました。クルマを止められていたら、その段階で取材は終わっていたかもしれませんでした。

軍事博物館前には焼けただれた軍用車両が1台、そのままになっていましたが、それ以外に事件の影響らしきものは見当たりません。綺麗に片付けられていたのです。最も大勢の学生・市民が殺されたとされた西端(シータン)も、クルマの中から見る限り、どうということもありません。“秩序”はあっという間に回復させられたということなのでしょう。溜息が出ました。

ホテルは日本のビジネスホテルにそっくりの作りでした。おそらくは日本の資本だったのでしょう。当然ですが、客はほとんどおらず、中国人の若い従業員が暇そうにしていました。流れ弾でしょうか、上の方の階に被弾した場所があり、撮影させてくれました。

深夜、部屋で寝ていると、ゴーという低い唸り声のような音で目が覚めました。窓から外を見ることはできませんでしたが、キャタピラーがアスファルトを叩く特徴的な音が聞こえ、目の前の通りを何台もの戦車が移動しているようでした。郊外の基地に引き上げる途中。そんな感じでした。うまく説明できないのですが、無性に腹が立ったことを覚えています。

北京は一泊だけで、翌日には香港に戻る予定。月曜日の中継に備えなければなりませんでした。痺れるような瞬間がやってきた2日目の取材については、また次回ということに。

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