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焼身自殺した人はどんな人だったんだろう…。 [ブランチ業務日誌]

今日のメルマガは7000字を超えてしまいました。一般に有料メルマガとしてはそんなに多い字数でもないけれど、uttiiの電子版ウォッチ>の場合は週六日、ほぼ毎日の発行なので、読者の皆様も、連日の「メール爆弾」に大変というか、しんどかったのではないかと申し訳なく思っています。()

長くなった理由は、全体の構成を変えたことです。今日は朝日、読売、毎日、東京の各紙とも、一面トップが「新幹線車内焼身自殺」で、見出しのバラエティーに乏しかったので、列車内での放火(今回は焼身自殺でしたが)など、悪意の行為に対する今後の対策をどう描いているかという点で比較してみました。微妙な違いですが、各紙の記者さんたちの気風というか、基本的なものの考え方みたいなものが出ていればいいのですが。

 それはさておき、焼身自殺した男性は、なぜ自殺することに、しかも新幹線車内での焼身という衝撃的な方法を選ぶことになったのでしょうか。そのあたり、社会部の新聞記者さんたちが、今頃容疑者の自宅周辺や関係者を必死に取材されているでしょうから、明日の朝刊に期待したいですね。

 この事件。ガソリンか灯油か分かりませんが、彼がかぶった液体は、いつどうやって入手したものなのか。灯油なら簡単でしょうが、ガソリンではそうはいきません。また、新幹線に乗ってきたのは新横浜ではないかと言われています。それは確かなのでしょうか。目撃者というのはどんな人なのでしょうか。

もうひとつ、彼の身元確認の資料になったと言われる、ポケットに入っていた免許証のコピーとされるもの、なぜそんな紙片をポケットに忍ばせていたのでしょう。免許証はヤミ金、マチ金から金を借りるときに取り上げられてしまったということはあり得るでしょうが、そんなことだったのでしょうか。その紙片は、彼が焼身自殺したにも関わらず、なぜ燃え残ったのか。焼死体の状況は分かりませんが、本当に、言われている71歳の人物に間違いないのでしょうか。疑問は尽きません。彼の家族は?仕事は?

 とまあ、色々考えては見るのですが。この続きは、明日の朝刊を論じる、7月2日付けの<uttiiの電子版ウォッチ>で取り上げることになるかも知れません。 

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原発の素顔 ~二十五年前にフクシマを見た~ [ブランチ業務日誌]

  二十五年前の一九八六年九月のある日、私は東京電力福島第二原子力発電所の当時建設中だった四号機建屋(たてや)に向かっていた。未だに事故が収束しない第一発電所ではなく、南に十数キロ離れた第二発電所だ。

  作業員用の入り口から内部に入り、防護服にヘルメットを被り、被曝線量を計るための線量計を持たされる。細い通路を進みいくつかの扉を開けると、突然視界が開け、ガランとした大きな空洞に至る。前方に進むと、ガラス板を隔てた先で、巨大な鉄の瓶のようなものがクレーンでつり上げられた状態にあり、ゆっくりと横に移動したあと、おそらくは予定の位置に到達し、そこから少しずつ、注意深く、下の方に降ろされていった。よほど緊張を要求される作業なのだろう。機械音に混じって聞こえてくる、現場監督が作業員に指示しているらしい声や、何かの危険を知らせるかのような警笛の音にも、ひどく張りつめたものが感じられた。直径一〇メートルくらいはあるだろうか、大きな瓶の蓋の部分はケバケバしい黄色に塗られて人を威嚇するかのようであり、建屋の四角い空間のなかで宙に浮いているように見えた。大きな瓶は不思議な存在感、いや、異物感のようなものを発散していた。

  この大きな瓶こそが「格納容器」と呼ばれるものだった。「格納容器」とは、深刻な事故が起こった場合にも放射能が外部に漏れ出さないよう、内容物を閉じ込める「最後の砦」ともいわれる。有り体に言えば、鋼鉄製の巨大なカバーだ。

  格納容器の中央には、ウラン235の核分裂反応を連鎖的に起こし、それによって生じた熱で水を高温の水蒸気に換える装置、原発の中枢である「圧力容器」が納められている。この日、まだ燃料棒がセットされる前の段階だったので、圧力容器の下部に潜り込むことができた。原子炉といえば、今回の原発事故の報道で何回となく目にした格納容器や圧力容器の模式図をイメージされるかもしれないが、そのような印象とは違い、そこは何本もの配管と配線によって囲まれた狭い空間で、容器の底からは制御棒を収めたシリンダーが何本も突き出ていた。沸騰水型軽水炉と言われるタイプの炉では、核分裂反応を止める制御棒が圧力容器の下から燃料棒の間をせり上がってくる仕掛けになっている。そのことを知らなかった私は正直驚いた。制御棒は上から落とされるものと完全に勘違いしていたのだ。この場所は、燃料棒がセットされ、制御棒が引き抜かれて稼働してしまえば大量の放射線が飛び交う場所となり、二度と人間が近付くことはできなくなるということだった。制御棒という、最も基本的な安全機構が機能する場でありながら、人が近づけなくても大丈夫なのか、心配になったことを記憶している。

  私が原子力発電所の中に入ったのは、テレビ朝日による取材の一環だった。前年に始まった新しいスタイルの報道番組「ニュースステーション」のリポーターとして、番組ディレクターたちと一緒に取材に加わった。この取材には報道局の記者や論説委員、他の番組スタッフなども参加していて、かなり大きな取材体制だったように記憶する。私たちニュースステーションの取材班は飽くまでいつもの番組作りの形をとり、インタビューやリポートの撮影に発電所内を動き回った。普通、電力会社はなかなか原発内部を見せたがらないとされていたが、建設中の福島第二発電所四号機を取材しないかという提案が東京電力の方からなされ、異例の取材が実現したとスタッフから聞かされていた。ただしテレビ局側からすると、こうした経緯で撮影されたものをそのまま放送した場合、どうしても宣伝臭が強くなってしまうので、最初から放送するつもりはなく、「資料として撮影、取材する」だけと決めていたようだった。大スポンサーが相手だとはいえ、メディアとして必要な最低限の緊張感は保っていたということなのだろう。そのあたりは東京電力側も総て承知のうえだったと思う。あるディレクターなどは「ここで原発事故が起こったときに、素材として使われるだろう」などと冗談のように言っていたほどだ。だが、この言葉は二五年後の今年、本当になってしまった。二五年前の私のリポートがテレビ朝日の夕方のニュース番組内で流された。ただし、勿論、隣の福島第一発電所の大事故にかこつけての放送だったが。

  東京電力がテレビカメラと取材者を招き入れた狙いは明らかだった。自社の原発の安全性アピールだ。

  一九八六年は原発の歴史の中で特別な年だった。四月二六日、旧ソ連のチェルノブイリ原発が爆発炎上し、世界中に放射性物質を撒き散らす大事故を起こしたからだ。原発の爆発はアメリカの軍事衛星がキャッチし、やがて事故の存在を旧ソ連当局が認め、映像が配信されて世界中にショックを引き起こした。被害の実相が明らかになるのはずっとあとのことだが、事故直後から原発保有国はあらゆる意味での対応を余儀なくされた。既に原発大国となっていた日本でも、電力会社と政府は「日本の原発も危ないのではないか」という国内の世論、強い疑念に晒されることとなった。テレビも新聞も、チェルノブイリ原発が爆発して飛散した放射性物質が日本にも到達したことについて繰り返し報道していたし、国内の原子炉の危険性についての議論もあった。

  前年の八五年一〇月にスタートしたテレビ朝日の新しい報道番組「ニュースステーション」は、どちらかといえば権力批判の雰囲気を漂わせた番組であり、朝日新聞の比較的リベラルなイメージ、歯に衣着せぬ物言いで人気が高かった久米宏キャスターという存在もあり、原発問題を批判的に取り上げることが少なくなかった。チェルノブイリ事故から五ヶ月、東京電力としては、原発に対して最も批判的なテレビ局と最も批判的な番組を招いて発電所内部を公開し、とくに、自慢の「格納容器」を「絶対安全の保証」として認知させようとしたのではないかと推測する。東京電力の担当者は「チェルノブイリと違って日本の原発は格納容器によって守られている」という意味のことを繰り返していた。

  東京電力は、未熟なリポーターであった私に対しても、担当の社員を一人付けてきた。取材が終わったあと、彼は頻りに私の感想を聞きたがった。どんなことでもよいので、批判を聞かせて欲しいということだった。取材経験も少なく、また典型的な「私立文系」である私に科学的な意味で有効な批判は不可能だったので、乱暴を承知のうえで次のようなことを話した覚えがある。

  「最先端の科学で成り立っている原子力発電所の職場に、なぜ、こんなにたくさんの人たちが立ち働いているのか?」

  稼働中の他の原子炉を含め、四つの炉に対して常時、三〇〇〇人の労働者が働いていることを所長のインタビューで聞き、気になっていたのだった。核分裂の臨界状態を制御するほどの最先端の科学技術を駆使していながら、なぜに現場は「人海戦術」の様相を呈しているのだろうか。どうもバランスが良くない、と。彼は熱心に聞いてくれていたが、おそらくは発電プラントというものを理解しない無益な質問と受け取ったのだろう。だが、私にとって「現場に人が多い」ことは、原発を理解する重要なキーワードとして、その後も頭にこびり付いたままだった。

  建設中の四号機で働いていた人たちは通常の意味での原発労働者ではない。だが、四号機建屋内部で大勢の人々が仕事をしている光景は、その後も長く私の「原発」感を支配した。特にヘルメットを被り白っぽい防護服に身を包んだ大勢の作業員が格納容器のまわりを取り囲み、それぞれの分担をこなしている様子は、取材当時から、何かに似ていると気になっていたのだが、それが何なのかハッキリしなかった。少し後になり、それはテレビの動物番組で観たシロアリの巣の様子、それも深奥部の様子ではないかと思い至った。波打つ巨大な腹を横たえたシロアリの女王蟻と、その女王蟻に仕え、ひたすら産卵を促す働き蟻。次々と生み出されるシロアリの卵。人工物の一つに過ぎない原発心臓部から受ける印象は、むしろ際限なく卵を産み続ける女王蟻のように、生命体の持つ艶めかしさそのものだった。そして、目の前の黄色い瓶にいったん火が入れば、実に一〇〇万キロワット以上の膨大な発電能力を発揮する凄まじさ。そこには見た目以上の大きな力、計算を許さないような神秘的な力が宿っているようにも感じられた。

 こちらの方は東電担当者に話さなかったが、同時にもう一つ、原発に関する別の印象も浮かんでいた。原発の仕組みを一通り説明されればすぐに気付くことだが、原子力云々といっても、要するに湯を沸かして発電するだけのことではないか。つまりこれは、「原子力瞬間湯沸かし器」なのだと。核エネルギーの解放という途方もない事象を高い技術で制御しながら、結局はお湯を沸かして高温高圧の蒸気を作るだけではないか。このアンバランスは、原発の最も基本的な問題を指し示しているように私には思われた。お湯を沸かすならもっと簡単な方法が他にいくらでもあるし、核エネルギーを利用する最も相応しい形は核兵器でしかあり得ない。古くから指摘されたことだが、「核の平和利用」という言葉自体に大きな矛盾が含まれているのではないか。原発が引き起こす大小の事故やトラブルの遠因は、そうした矛盾に発しているのではないだろうか。
 
  東京電力の原子力発電所はその後、福島第一第二、柏崎刈羽を問わず、臨界事故を含む様々な事故やトラブルを起こし、また事故隠しや検査データ捏造のはてに全一七機を止める屈辱を経験し、二〇〇七年七月の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽では放射能漏れ、そして今回、東日本大震災と津波の直撃を受けた福島第一がチェルノブイリに匹敵するレベル七の深刻な事態に陥り、今も終息に至っていない。二五年前の当時にそのようなことが想像すらできなかったことは言うまでもない。

  今、日本中の原発にチェルノブイリの時以上の疑念の眼差しが注がれている。巨大地震の想定震源域の中央に立地する中部電力・浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)は既に菅総理の要請により、全機が運転を一時停止した。地震による重大事故という点では日本中、どこの原発も同様の危険を抱えていると見た方がよいようだ。いよいよ原子力発電そのものから抜け出すときがやってきたのかもしれない。(2011年6月8日脱稿)

                                  ( 『「群系」』二十七号所収)


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謹賀新年2011! [ブランチ業務日誌]

あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

 いきなりで恐縮ですが、、、いったい菅さんの内閣は何がしたいのでしょうか。

「〇九マニフェスト」を事実上かなぐり捨て、「成長重視」に舵を切ったというのに、「新成長戦略」に取り組むはずの新年度予算案をみると、僅か一兆円足らずしかこの分野に配分していない。また防衛と税制の二つの大綱も、官僚機構の自己保存本能と対米追従姿勢の「権化」のような代物。政権交代の果実も、政治主導の証も、その影さえ見当たらないと言ったら言い過ぎでしょうか。お得意の「ニッポンを元気にする」などという空疎なスローガンのもとに、菅さんは昔の政治に戻ろうとしているのでしょうか。ひょっとすると、菅内閣の成立は、一昨年八月の政権交代のあと、再び起こった政権交代なのではないか。自民党に代わって菅さん率いる民主党が「自民党政治」をやっているのではないか。そんな疑問が湧出し、やがて肯定されるようになるかもしれません。そうなると、民主党に期待していた人たちにとって、菅内閣は「打倒の対象」になりかねません。本当にそうなのか、二〇一一年の年明けは、この問いとともに始まらざるを得ません。

 

さて、昨年の年賀メールでは、政権交代によって「間違いなく私たちは河を渡」ったと書きました。もう大きく後戻りすることのない、変革の時代に入ったと考えたからです。もちろん、色々な困難はあるでしょうし、行ったり来たり、試行錯誤はあるだろうとも思っていました。ですから、民主党政権に過剰な期待を抱く人々に対しては、「民主党の政府などというものはろくなものではないだろう、それでも政権交代には歴史的な意味があったのだ」と言うことにしていました。逆説的に聞こえるかもしれませんが、私がそのように慎重な言い回しに努めていたのは、政権交代がもたらす変化のトレンドそのものは変わりようがないと固く信じていたからです。ところが、それほど確かと思われたことが、徐々に、いや、急速に怪しくなってきました。

 

この間の出来事については、民主党の志がねじ曲がってしまったのではなく、有権者=国民の支持を取り付けることに失敗してしまっただけだと見る向きもあるでしょう。その場合は、参議院選挙の敗北が決定的だったということになるのでしょう。民主党自身に大打撃を与えた菅さんの「消費税一〇%」発言。あの発言の問題性を軽く観る人もいますが、それは間違っていると私は思います。鳩山さんが「四年間は消費税率を上げない」と言ったことを否定してしまったこと、行政の無駄を削ることはもう諦めたと受け取れたこと、来年度から税率が上がるかのように言ってしまったことなど、政治家としては信じられないほど乱暴な発言をしてしまいました。これはちょっとしたミスではなく、取り返しがつかない。各選挙区で民主党から逃げていった票は非常に多かったのだと思います。選挙前、恥ずかしながら、この選挙、民主党は負けないだろうと私は予想していました。そして両院で多数を握った連立政権が、政治主導を法律化し、日本の国家権力のあり方を大きく変えるきっかけになるに違いない、そんな風に思っていました。事実は全くそのようにはなりませんでしたが。

 

結果として、政権交代に期待した人々が抱いた希望、これが粉々に砕け散ってしまったのではないかと思わせるデータがあります。年間の自殺者の数です。九八年以来、三万人以上の人々が自ら命を絶つ異常な状態が続いていました。政権交代は、たとえ窮地に陥った人々の状況を一挙に改善することはできないかもしれませんが、少なくとも将来への希望には繋がる可能性がある。もともと自ら命を絶とうとする人をゼロにすることは不可能なのかもしれません。でも、何かを支えに踏みとどまることの出来る人も大勢いるはず。政権交代はその「何か」としての役割を果たせるのではないかと期待していたのです。絶望の国から希望の国へ。しかし、残念ながら、一年間の自殺者数は十三年連続で三万人を越え、前年と大差ない高い水準に達してしまったようです。民主党のせいではないと言うことも可能でしょう。でも、自殺者を大きく減らすことができなかったことを、政治家なら悔やんでも悔やみきれない痛恨事として受け止めて欲しい。

 

政府・民主党が大急ぎでやらなければならないことは、人々の「夢のかけら」を拾い集め、それに再び大きな形を与えることだと思います。マニフェストの「修正」とか「見直し」といわれることには、本来、そのような意味があるのだと考えてもらえないだろうか。辻褄合わせではなく、夢を再建すること。そうでなければ、この間の政治的変動を経て有権者が得たものは「徒労感」だけになってしまいます。一つ一つの「夢のかけら」は大切です。そして、かけらを集めた塊に命を吹き込むことはもっと大切だと思います。

 

 というわけで、今年も、私がメディアを通じて定期的に何かをお伝えすることができる機会は、昨年に続き、とりあえず週に二回です。関西テレビ「スーパーニュース・アンカー」月曜日担当のコメンテーター、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」の火曜日担当コメンテーターとして出演しています。それから、朝日ニュースター「愛川欣也パックインジャーナル」には、何度か出演する可能性があります。

 以上、みなさまとテレビでお目に掛かり、ラジオでお耳に掛かるチャンスは今年も決して頻繁ではありませんが、お時間がありましたら是非お付き合い下さい。

 

                                  内田誠
                                                                                                                               


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検察審査会の強制起訴議決から予算委員会へ [ブランチ業務日誌]

 一言でいえば、「頑な」という印象の会見だった。

10月7日午後1時50分。100人以上の取材陣が待ち受ける議員会館内の一室。記者の多さに「おおっ」と声を上げながら入室してきた民主党の小沢一郎元幹事長は、「まず私から一言」と前置きしておよそ8分間、検察審査会の起訴相当議決後の心境と対応について語った。自身の離党・辞職については、「正式の捜査機関である検察」の1年余に及ぶ取り調べでも起訴に相当する犯罪がなかったことが証明されているとして、完全に否定。強制起訴を決めた検察審査会は「秘密のベールに閉ざされている」と批判した。ここ数年、「政治とカネ」問題での追及に対して常に同様の態度を表明してきた小沢氏も、今回は置かれている立場がこれまでと大きく違う。党の代表選で敗北し、閣内や党幹部に自身を支持する勢力の姿は無く、自分自身は刑事被告人としての数年間を過ごさなければならない。副大臣や政務官の中には数名の「仲間」がいるものの、むしろ菅・仙谷内閣の影響下に取り込まれていく可能性も否定できない。今のままでは政治的影響力の著しい低下は避けられそうにない。さらに、国会情勢次第では、菅内閣は証人喚問の形で「悪の権化」である小沢氏を衆人環視のもとに晒す可能性もある。そんなことになれば、頼みの小沢ガールズからも脱落者が出てくるかもしれない。であるならば、離党を「戦い方の一手段」として小沢氏自らが選び取る可能性もあるのではないか。党を離れることによって「けじめ」とし、それ以上の追及を避けることで影響力の低下を食い止める、そんな腹づもりで小沢氏自ら離党を匂わす可能性はないのか。それが会見に臨んだ私の予想だった。残念ながら、この日の会見の中からはそのような方向を示す兆しさえ感じ取ることは出来なかった。小沢氏は陥穽に填ってしまったのかもしれない。そんな考えが頭をかすめた。

そもそもことの発端である検察審査会の二度目の起訴相当議決を振り返ろう。

 10月4日午後に行われた民主党の小沢一郎元幹事長に対する検察審査会の議決内容が公表された。いきさつはどうであれ、強制起訴が決まったことの意味は極めて大きい。だがこの議決には、内容そのものとは別に、二つの注目点があった。

 まず、その議決の日付だ。9月14日というのは、議決が公表された10月4日のおよそ三週間も前。しかも、菅直人総理と小沢元幹事長の間で熾烈な民主党代表選が戦われた当日だ。もう一つは、その発表時期の早さだ。大方の推測するところでは、発表は10月末までずれ込むだろうと思われていた。政治的な影響の大きいこの種の発表は、少なくとも北海道五区の衆議院議員補欠選挙の結果(10月24日投開票)を待ってのことと想像されていたのだ。この二つの事実が、偶然の結果であると信じるのは難しい。どういうことか。

 議決が民主党代表選当日の9月14日に行われていたことにはどんな意味があるか。その日は、菅直人氏が引き続き代表となり、総理職を続けることが決まった日だ。逆に言えば、「政治とカネ」の問題でたびたびの追及を受けてきた小沢一郎氏がとりあえず総理大臣にならないことが確定した日でもある。小沢氏は議員票では菅総理に匹敵する支持を得たものの、地方議員や党員サポーターの票では苦杯をなめ、結果は惨敗。党内での影響力もやがては翳っていくに違いないと私には思われた。(選挙戦最終盤での菅陣営幹部の発言などからすると、菅陣営ではその数日前に結果について相当に正確な予測がなされていたと思われる。)そして、同じ9月14日に小沢氏に対する二度目の「起訴相当」が議決されていたのは、いわば「安心して」強制起訴という結果を招きうる状態になったからだったのではないか。検察審査会内部の方向性は既に「小沢強制起訴」で固まっていたとしよう。もしも小沢代表=小沢総理が誕生していれば、現職の総理大臣が政治資金問題で起訴されるという空前絶後の事態が生じる危険があった。いくらなんでも、総理を起訴せよと議決してしまえば、逆に検察審査会への批判が巻き起こる可能性がある。検察審査会側のある種の深謀遠慮が働いたという想像が成り立つように思われる。

問題はそのさらに先にある。三日後の9月17日に行われた組閣の内容だ。代表選で小沢氏を支持した民主党議員の中で、大臣に選ばれたのは、海江田万里氏他二人の計三人のみ。小沢グループ内からの起用は一人もなかった。やはり小沢グループ内からの要職起用がなかった党役員人事とあわせ、「挙党態勢の構築」が叫ばれる代表選後の状況にありながら徹底的な「脱小沢」人事が可能だったのは、小沢氏に対する「強制起訴」の結果について、菅総理や仙谷官房長官が事前に知っていた、あるいはその可能性の高さについて推察できていたからではないのか。実は、検察審査会法にはこんな規定がある。

検察審査会は、起訴議決をするときは、あらかじめ、検察官に対し、検察審査会議に出席して意見を述べる機会を与えなければならない。(第四十一条の六 2項)

 

つまり、今回出された二回目の「起訴相当」議決に際しても、検察官は事前に「起訴相当議決」があることを知っていたことになる。となれば、その情報は検察内部と法務省の組織を駆け上がり、最終的に官房長官、総理に届いていたとしても不思議はない。(当時の千葉景子法務大臣は、「聞いていない」という。検察組織から官邸に連なるインフォーマルな情報伝達ルートがあったのかもしれない。)

飽くまで想像だが、菅総理からすれば、小沢氏に対する「強制起訴」に道を開く今回の検察審査会議決は、小沢氏が代表選で敗北することが明確になった日から、組閣が行われる日までの間になされる必要があったのではないか。そしてそれは十分に可能だったということなのではないだろうか。

 では、小沢氏に対する二度目の「起訴相当」議決、つまりの強制起訴の決定が発表された日は、なぜ10月4日だったのか。

10月4日は、臨時国会での所信表明演説を終えた菅総理が、当初は欠席する予定だったASEM(ヨーロッパ・アジア会議)出席のため、ブリュッセルを訪問中のことだ。菅総理の予定変更はもちろん、尖閣諸島沖での中国漁船と巡視船衝突事件とその後の日中間の対立について、温家宝首相と接触するためだった。最終日のディナー後に、首脳同士の懇談(日本側は中国語が理解できず、中国側は日本語が理解できなかったので、実際には英語を理解する通訳同士の「懇談」に過ぎなかった。)が行われたことで問題が解決に向かう期待も膨らみつつある(一人拘留が続いていたフジタの社員も解放された。)が、逮捕・拘留していた中国人船長の釈放に至るプロセスは、お世辞にも評価できるものではなかった。総理の帰国待ちを余儀なくされた自民党など野党は、いわば手ぐすね引いて代表質問とその後の予算委員会審議で総理追及の準備をしていた。そこに、あらためて最大のテーマの一つとして、小沢氏の「証人喚問問題」が浮上したことになる。野党は一斉に「小沢問題」を追及しはじめた。「追及されたくないテーマ」を「追及させたいテーマ」に置き換える。狙い通りだったと言えば言い過ぎだろうか。

ところで、指摘された「政治とカネ」の問題に対し、小沢氏は、事実上、国会での説明を避け続けている。小沢問題は、民主党と菅内閣にとっての大きな弱点であり、野党からすればまさしく責めどころの一つに違いない。だが同時に、小沢氏の存在は、菅内閣にとってほとんど唯一とも言うべき貴重な政治的資源でもある。鳩山内閣の瓦解後、マニフェストの諸テーマが急速に輝きを失いつつある中、菅内閣の支持率上昇に貢献してきたのが「脱小沢」の明確化だった。となれば、臨時国会での補正予算に加え、次年度本予算の審議過程で完全に行き詰まると予想されていた菅内閣がねじれ国会を乗り切っていく上で、またしても小沢カードを切る場面が出てきたということにならないか。いや、小沢氏の証人喚問は、補正予算と関連法案通過のために仕方なく行うのではなく、逆に、補正予算のためと称して、小沢グループ解体を狙って行われるのかもしれない。

これまで菅総理は、小沢氏や鳩山氏が「政治とカネ」問題について十分な説明責任を果たしてこなかったことについて、「幹事長と総理をそれぞれ辞することで、政治家として重い判断をなされた」と庇ってきた。だが、臨時国会が始まってからは、野党からの証人喚問要求に対し「国会に関することなので、国会でご議論、ご決定いただく」と言うように変化している。総理としての判断を避ける言い方は、野党に対する全般的な低姿勢の延長にも聞こえるが、同時に、やがては証人喚問に応じると言っているようでもある。証人喚問に応じる代わりに補正予算を通す。そして小沢氏の政治的影響力はさらに小さくなっていく。

12日の火曜日からは予算委員会が始まる公算だ。同時に、12日は岡田幹事長が小沢氏から話を聞く日となる可能性も高い。菅内閣にとって一石二鳥の小沢カード、いよいよそのカードを切るタイミングが近付いている。

 *9日午前、鉢呂国対委員長は「政治とカネの問題でいつまでも不信の念を持たれないよう全力をあげたい」と述べ、初めて小沢氏の国会招致に前向きな姿勢を示した。証人喚問か参考人聴取なのか、あるいは政治倫理審査会なのか、今のところ明言していない。


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謹賀新年2010! [ブランチ業務日誌]

あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

 昨年の年賀メールでは、冒頭にこんなことを申し述べました。「もしも、一言で2009年はどんな年になるのかと言えば、昨年(2008年)の賀状メールで使った「過渡期」という言葉を、今年もまた使わなければなりません。昨年中に渡るはずだった河を、まだ私たちは渡りきることができないでいるからです」。

そして2009年秋、ついに選挙による政権交代が実現しました。多くの人々が、「世の中が変わる」と感じたことでしょう。正直に申せば、私も「これでようやく、民主主義が始まる」という感覚を抱きました。実際、霞ヶ関も永田町も、大きな変化のさなかにあり、まもなく始まる通常国会では公共事業を18%カットし、子ども手当を含めた社会保障費を10%アップさせた、今まででは考えられなかった予算が審議されます。一年に三万人以上の人々が自ら命を絶つような、いわば絶望の国から希望の国へ変わっていけるかもしれない。そんな望みを抱かせるに十分な政権のスタートでした。

  この政権交代によって、間違いなく私たちは河を渡りました。しかし、下船した向こう岸の風景には、いささか違和感も伴っていました。想像と違った、というのは不正確かもしれません。なにせ、総選挙の勝利者たちは「向こう岸の風景」について、私たちが想像できるだけの説明をしてこなかったからです。いったい、私たちはどこに向かおうとしているのか。いや、むしろ、内外の問題の実際の現れ方を見る限り、もしかしたら私たちはまだ「過渡期」にあるのではないか、渡るべき川幅はまだまだ広く、しかも新たな河さえ何本も控えているのではないかと思えてくる。

「普天間」「天皇特例会見」「暫定税率維持」などの問題について、ここではそれぞれの論点には立ち入りません。ただ、一つだけ、メディアに関して、自戒を込めて申し上げたいことがあります。

  一言で言えば、「政権交代」によって、メディアは自分自身を見失いかけているように思えるのです。

今回の鳩山政権の誕生は、長年続いた自民党ないし自公政権からの転換でしたから、新聞にせよテレビにせよ、保守系のメディアが強い批判のトーンを滲ませているのはある意味で理解できます。どんなに批判したところで、世の中が元に戻るなどということは、まず絶対に無いのですが、心理としては致し方ないところでしょう。私がより問題だと感じるのは、むしろ、政権交代を歓迎する人々の中にある「鳩山贔屓」の感覚の方です。「普天間」を巡っては、関係閣僚をコントロールできない総理はどう考えても指導力不足の情けない総理だと思うのですが、その点には目を瞑ろうとする。移設先について「鳩山さんは深謀遠慮でチャンとした答を出すはずだ」「駐留なき安保に向けて上手くやってのけるに違いない」などと期待が膨らみすぎてしまい、「抑止力を考えればグアム移転は難しい」と決定的な発言をしてしまったのに、その深刻さについて考えが及ばない。どちらにせよ、「政権交代」について冷静さを失っているのです。本来、メディアは不偏不党であり、「為にする批判」も「贔屓の引き倒し」もともに避け、事実に即して適切な評価と批判を展開すべきだと思うのです。

「政権交代」を巡り、メディアの盲点になっている問題があります。それは「政治主導」についてです。前政権下での「官僚依存」に対するアンチテーゼとして掲げられた「政治主導」は、事務次官会議の廃止や官僚による答弁・記者会見の禁止、事業仕分けなどによって具体的なイメージを与えられ、基本的には国民・有権者の支持を得てきたと思います。もっとも、天下りではないかと批判された日本郵政の社長人事があり、事業仕分けでも「財務省主導」の内実が明るみに出たりしたため、「政治主導」の純粋性に疑問符がつきつつあることも事実です。ですが、ここで言いたいのはそのことではありません。簡単に言えば、「政治主導」という言葉の背後に「政治の聖化」、つまり、「政治」を無条件で正しいものとする衝動が潜んでいないかということなのです。

例を挙げましょう。来日する中国の習金平国家副主席と天皇の会見が、宮内庁の「一ヶ月ルール」に従わない形でセットされた、いわゆる「天皇特例会見」問題がありました。記者会見した民主党の小沢一郎幹事長は、経緯を批判的に公表した宮内庁長官を詰(なじ)りながら、こんな微妙な発言を行っています。「天皇陛下の国事行為、行動は、国民の代表である内閣・政府の助言と承認で行うことなんですよ」と。後にご本人及び党が訂正をしたと伝えられていますが、小沢さん、実は発言をしながら気付いていたんですね。「しまった!外国要人との会見は、国事行為とは言い切れない」と。そこで「国事行為」の後に「行動」と言い足した。でも、そんな誤魔化しをしてしまったものだから、まるで、天皇の総ての行動は「国民の代表である内閣・政府の助言と承認で行う」と決まっているかのような、物凄い内容になってしまった。いくらなんでも憲法にそんなことは書かれていない。

でも、これ、もしかしたら小沢さんのホンネだったのではないでしょうか。小沢さんのあるべき憲法観のなかには「象徴天皇制」は入っていないのではないか。選挙で選ばれた内閣と政府、つまり「政治」が総てに優越する社会では、国家の象徴機能も政治が決定するものとなる。となれば、君主制の名残のような現在の象徴天皇制ではなく、必要なら選挙によって象徴機能を担うものを選び出すべきで、比喩的に言えば、「天皇公選制」が求められる。実はこの議論、ある憲法学者が主張していたことなのです。その学者はかつて、「天皇を公選制にしたら、自分は真っ先に立候補する」と私の面前で語っていました。そして今回、「特例会見」問題でコメントしたなかで、小沢さんや鳩山さんの対応を一から十まで全面的に支持しているのです。公選される「象徴」は、多分、ドイツの例に倣って「大統領」と呼ばれることになるのでしょう。初代大統領にはいったい誰がなるのか。

もちろん、以上のことは私の推測に過ぎません。ただ、「官僚」を悪玉にして「政治」を正しいものと言い続けているうちに、「政治」はどこまでも高みに上っていってしまい、国民・有権者の手の届かないところで暴れ出すかもしれないということを、メディアは覚悟しておくべきだと思うのです。メディアには苦い経験があります。かつて、小泉純一郎氏が「抵抗勢力」をやり玉に挙げ衆議院で圧勝するのを少なくとも結果として助け、小泉内閣にフリーハンドを与えてしまいました。同様に今、官僚攻撃の裏側で、政治を「聖化」させてしまうのは危険なことと思われます。そして、戦争にせよ選挙にせよ、勝者(=権力者)に総てを許すわけにはいかない。憲法はもともと、権力者にはめる「たが」のようなもの、権力者に守らせる約束でもあったのですから。(内閣法制局長官の国会答弁を禁止しようという小沢さんの意向も気にかかります。やはり「政治」を憲法の上に置きたいという欲望の現れに思えます。)

来るべき夏の参議院議員選挙は、民主党が単独過半数を目指す選挙です。材料の乏しい自民党が勝つ見込みは無いと、私は思っています。まあ、関ヶ原の残党狩りよりは若干ましな状況かとは思いますが、結果は衆参両院で多数を握る与党の出現となることでしょう。後々、正当な手続きを経て憲法が改正されることまで否定はしませんが、それまでの間、民主党に日本国憲法を守らせるということが、国民的な課題になってくるような気がしています。

さて、メディアが自分自身を見失いかけているということで言えば、もう一つ、「未曾有の不況」について記さなければなりません。ただし、こちらの方はとくにくだくだしい説明を要しません。たとえばテレビの世界では、大きな金と時間と人手を使って取材する番組が次々と消えてきた、そのことだけで一目瞭然だからです。そして、私が「本籍地」と呼び続けていた「サンデープロジェクト」(テレビ朝日・朝日放送共同製作)も、本年三月いっぱいで20年を越すその歴史に幕を閉じることになりました。言いたいことはたくさんありますが、ここは、リポーターとして、準レギュラーとして使い続けてくれたスタッフに、また、私たちの調査報道の試みを常に支持してくださった大勢の視聴者のみなさんに、厚くお礼を申し上げるのみです。ありがとうございました。またそのときが来ましたら、別にご報告できることもあろうかと思います。

  というわけで、今年、私がメディアを通じて定期的に何かをお伝えすることができる機会は、昨年に続き、とりあえず週に二回です。関西テレビ「スーパーニュース・アンカー」月曜日担当のコメンテーター、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」の火曜日担当コメンテーターとして出演しています。

  東京キー局のテレビでは、二月中に、上にも書きました「サンデープロジェクト」(テレビ朝日・朝日放送)に出演する公算です。昨年二月の放送後に取材対象者からのBPO提訴を受け、その後決着した『派遣法誕生』(前後編)の続編で、「均等待遇」に視点を絞った特集を鋭意取材中です。私がサンプロでご報告する最後の機会となる予定です。ご期待ください。以上、みなさまとテレビでお目に掛かり、ラジオでお耳に掛かるチャンスは今年も決して頻繁ではありませんが、お時間がありましたら是非お付き合い下さい。

                                                          内田誠

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謹賀新年2009! [ブランチ業務日誌]

 みなさま、大変ご無沙汰してしまいました。  毎週火曜日のコメンテーターを務めさせていただいている「吉田照美ソコダイジナトコ」のリスナーから、「2月から更新されていない素敵なブログを発見しました」とキツーいメールを頂き、恐縮していた昨年。その後もなかなか更新するのが億劫になっていましたため、今日のこの日まで、そのまま「休止」状態が続いていましたが、ようやく、書く気持ちが起きてきましたので、再開させていただくことにします。まあ、あまり頻繁というわけにもいかないとは思います。どうか、気長に、時々覗いていただければ幸いです。 さて、とりあえず、今年の年賀メールを以下に掲載します。かねて内田がお世話になっています存じ寄りのみなさまには、個々にメールの形でお届けしましたご挨拶です。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。


 もしも、一言で2009年はどんな年になるのかと言えば、昨年の賀状メールで使った「過渡期」という言葉を、今年もまた使わなければなりません。昨年中に渡るはずだった河を、まだ私たちは渡りきることができないでいるからです。その理由は、解散・総選挙のみを期待されて自民党総裁、総理大臣になった麻生太郎氏が、様々な事情から解散に打って出ることができないまま、いわば立ち竦(すく)んでしまっているところにあります。一昨年9月に誕生した福田康夫総理が政権を投げ出したのは、内閣が発足しておよそ1年、昨年9月1日でした。そして麻生太郎氏が総理大臣となったのが同9月24日。それからの3ヶ月余というもの、何か時間が止まってしまったかのような日々が続きました

 多くの有権者が期待していた解散・総選挙、それ以外に時を前に進めるものが見付からない状況下で、私たちは世界金融危機が津波のような早さで押し寄せてくるのを目の当たりにすることになりました。しかも、9月15日のリーマン・ショックは、わずか二ヶ月でトヨタ・ショックに姿を変え、「アメリカ発の」「金融危機」が、アッという間に「日本を含む世界の」「経済危機」に拡大・深化してしまった。日本国内では、特に対米輸出に強く依存する自動車産業や電機産業で「派遣切り」などの激しい人減らし策が吹き荒れ、その嵐の勢いはますます強くなるばかりです。

* 因みに、経済危機が大量失職・失業に直結したのは、今から23年ほど前に制定された労働者派遣法があったからだと私は思っています。当時の立法者たちが今の惨状を想像できていたかどうかは分かりません。しかし、公然と間接雇用を解禁した同法が、今回のような恐慌状態を機に「牙をむいた」と考えられるからです。派遣法をどのように変えるべきなのか、様々な議論がありますが、小泉構造改革の「規制緩和」を元に戻すだけでは問題の解決にならないと私は考えます。

 働く人の三分の一が非正規雇用であり、年収200万円以下の労働者が1000万人を越えたのは一昨年のことでした。しかし、問題は雇用だけではない。気が付けば、およそセーフティーネットに数え上げられるべき、社会保険(年金・医療・介護)や公的扶助の類は総てボロボロになっていて、「すべり台社会」(湯浅誠『反貧困』より)ができあがっていた。昨年の賀状メールでは、『社会の二極化』とその固定化が進み、「これまで『自殺者年間三万人以上』ということで語られることの多かったこの種の問題が、昨年(2007年)半ばくらいから、他者への攻撃という形に移行しつつあるように感じられる」と書きました。その傾向が極点に達したのが昨年6月の「秋葉原事件」だったとすれば、まさしく「自分に向けられていた刃や銃口が、些細なことで他者に向けられ、躊躇無く引き金を引くような事件」と言うことができます。いったん引き裂かれてしまった社会を再び「統合」するために、政治と政治家はその責を全うしてくれるのでしょうか。総選挙後に新たに政権を担う人たちは、日本の進む方向を明示し、「大いなる希望」を掲げ続けることができるのでしょうか。この一年、そのことを念頭に、様々な取材に取り組みたいと思います。

 どうぞ、これまで通り、ご指導のほど、よろしくお願いいたします。

* 私がメディアを通じて定期的に何かをお伝えすることができる機会は、とりあえず週に二回です。関西テレビ「スーパーニュース・アンカー」月曜日担当のコメンテーター、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」の火曜日担当コメンテーターとして出演しています。

 東京キー局のテレビでは、今月か来月に、私の「本籍地」でもある「サンデープロジェクト」(テレビ朝日・朝日放送)に出演する公算です。また、「愛川欽也のパックイン・ジャーナル」(朝日ニュースター)も一ヶ月に一度くらいのペースで出演することになりそうです。以上、みなさまとテレビでお目に掛かり、ラジオでお耳に掛かるチャンスは今年も決して頻繁ではありませんが、お時間がありましたら是非お付き合い下さい。


                                                               内田誠

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今年もアカデミー賞授賞式、、、。 [ブランチ業務日誌]

  脚本家組合のストライキの影響で開催が危ぶまれていた、アカデミー賞の授賞式がいよいよ開かれますね。この時間、もうやってるのかな、、、。今年は低予算の作品が多いとかで、あまり下馬評の方は盛り上がっていないようですが、それでも、主演男優賞と作品賞にはそれなりの「予想」がなされていて、映画好きならだれでも賛成反対の意見を言いたくなる状況もありますから、最近、にわか映画ファンになった私もちょっとだけ参戦しようかなと思い立ちました。

  とはいえ、毎年のことながら、各映画、日本での公開はアカデミー賞が決まった後というわけで、日本の映画ファンは「蚊帳の外」。近頃の、在日米軍基地の移転をめぐる状況や駐留米軍兵士による犯罪処罰の顛末などを見ていても、「いっそのこと大統領選挙の投票権もよこせ!」と言いたくもなるくらいで、映画賞も含めて、我々は、「権利なき51番目の州」=植民地、との雰囲気が漂ってきますが、まあ、この点は今回はこのくらいにしておきましょう。

  さて、アカデミー賞。主演男優賞は、日本人の人気という点では圧倒的なジョニー・デップを推す声が大きいけれど、実際は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で石油王を演じたダニエル・デイ=ルイスで決まりというのがもっぱら。ちょっとだけ異を唱えますと、我らがジョーンズ調査員(!)もお忘れなく。作品賞確実と言われるコーエン兄弟監督の「ノー・カントリー」にも保安官役で登場していたトミー・リー・ジョーンズ「告発のとき」でイラク帰りの息子の死の真相を追及する父親を演じていて、これがなかなか見事な演技、ちゃんと主演男優賞にノミネートされています。映画の内容は書かないようにしますが、基本的なテーマは、アメリカがイラク戦争でボロボロになってしまったということに尽きる。このところ、アメリカのリベラルな勢力が好んで扱うテーマで、まあ、ベトナムで彼らは何を学んだのかなあ、とは言いたくなるけれど、実際にそうした問題があちこちで吹き出してもいるわけですね。となると、26日のアカデミー賞授賞式のほぼ一週間後に控えている「第二のスーパーチューズデー」が気になってくる。そう。アメリカ大統領選挙の話です。

   アメリカ大統領選予備選の民主党候補者選びも大詰め。追いつめられたヒラリー・クリントン候補は、3月4日のオハイオ・テキサス両州党員大会でいよいよ大団円かというタイミング。優勢が伝えられるバラク・オバマ候補の圧倒的な強みは、イラク戦争に最初から反対していたということですよね。次第にサブプライム問題に端を発する経済問題が深刻になりつつあるなか、争点としては比較的後景に退いたともされるけれど、ここでジョーンズがオスカーを取ったりすれば、いよいよ「やっぱりオバマだね」ということになりそうな勢いかと。映画賞をネタにこんなことを言うのは興ざめと思われたみなさんには、心よりお詫び申し上げます。はは。

  ところで、作品賞確実と言われる「ノー・カントリー」実に血腥い仕上がりになっていて、なんとも言いようのない映画なのですが、さすがはコーエン兄弟というか、不思議な「読後感」なのです。たくさん人が死にますが、観て数日がたつと、その殺人を含めた「雑味」のようなものが削ぎ落とされてきて、あっ、そうだったんだと思える一点に意識が集中してくるような、そんな映画なのです。見終わって、だんだん面白くなってくる。「告発のとき」などは、「ああ、なるほどね」と理屈で納得できる、「悟性」的な映画ですが。「ノー・カントリー」のほうは、「理屈じゃねえよ!」て感じかな。「告発のとき」は結論や「正しさ」を押しつけてくるところがあるけれど「ノー・カントリー」はただ見せてくれている、いや、観るということなのだと思います。きっとスクリーンの中に貴方自身がいるはずです。ああ、じれったいなあ、もっと中身について書きたいけれど、ここまで。血腥いものは受け付けないと言う人は別ですが、そうでないむきは是非。


 


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謹賀新年2008! [ブランチ業務日誌]

あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。

  振り返れば、昨年は凄まじいまでの激動の年でしたね。一昨年の郵政選挙で与党が得た衆議院三分の二超という圧倒的な力を背景に、「戦後レジームからの脱却」を呼号する安倍内閣は相当のことまでやってしまうのではないかと強い危惧の念を抱いていた一年前。まさか、閣僚不祥事や暴言問題、「宙に浮いた5000万件の年金記録問題」などの処理に安倍総理が悉く失敗し、挙げ句、夏の参議院選挙で歴史的な大敗を喫することになるとは、想像もできませんでした。さらに、選挙後の謎の続投宣言、内閣改造、そして安倍総理の突然の政権投げだしに福田総理の誕生と、政治の世界はあらぬ方向に転がり続けてきました。極めつけは福田総理と民主党小沢一郎代表の党首会談で浮上した「大連立騒動」でしたが、これなどは未だに尾を引いている。総じて、この間の政治と政局はますます混乱の度を深めつつあるようにも見える。

  しかし、「ねじれ国会」の言葉に象徴される「混乱と停滞」は、今がまさに「過渡期」であることを示しているように思います。

  昨夏の参議院選挙。与党の敗北は、「地方の疲弊」と「年金崩壊」への無策の結果でした。小泉構造改革路線がもたらした地方の荒廃を放置し続けた安倍政権。さらには国民の年金受給権を著しく毀損していた年金記録問題を解決できない安倍政権。この体たらくを野党に突かれ、そして有権者に厳しい、しかし当然の審判を受けたのだと思います。それでも、有権者の反乱はまだ始まったばかりです。来るべき解散・総選挙こそが、この「過渡期」を終わらせ、如何様なものかはまだ判然としませんが、新しい政治の枠組みに向かって社会が一つの河を渡りきる、そのことを可能にするのでしょう。福田政権の方は早速様々な不始末をやらかしていますが、今月中にも噂される内閣改造で人気回復を図り、最大野党の民主党に様々な分裂工作を仕掛けながら、与党にとって最も有利なタイミングでの解散を探っていくことでしょう。しかし、どれほど知謀に長けた政府・与党であっても、今回の選挙を乗り切っていくことは、あまりにも困難と思われます。

  さて、「構造改革」なるものの帰結するところが何であるのか、この答えが非常に鮮明になってきたのが昨2007年でした。道路公団の民営化、郵政民営化など、構造改革の看板政策は数々ありましたが、何かがスムースに運ぶようになったり、何かの社会的コストが明確に低減したりという「成果」の実感はありません。逆に、最もハッキリと現れてきた結果は、働く人々の取り分が大きく減らされたということでした。そのことが、誰の目にも明らかになってきたのです。今や、働く人の三分の一が非正規雇用であり、年収200万円以下の労働者がついに1000万人を越えました。他方では、高額所得者も増えていることから、言うところの「社会の二極化」がどんどん進み、しかも固定化されつつある。多くの人が取り分を減らされただけでなく、先々取り分が増える見込みも奪われてしまったのではないか。つまり「希望」も奪われてしまった。そして、日本列島で毎日の生活を送る一億数千万人の人々、その人々の間でおこる様々な事件や出来事の背景に、こうした「二極化」が暗い影を落としていることが、今年2008年は昨年以上に明確になるのでしょう。

  気になるのは、これまで「自殺者年間三万人以上」ということで語られることの多かったこの種の問題が、昨年半ばくらいから、他者への攻撃という形に移行しつつあるように感じられることです。考えてみれば、「何ものかを殺害する行為」という点で、自殺と他殺は変わるところがない。自分に向けられていた刃や銃口が、些細なことで他者に向けられ、躊躇無く引き金を引くような事件が続いている。思うに、人間の精神生活のなかから「将来」とか「希望」、「手応え」というような要素が抜け落ちてしまったとき、人は容易く絶望によって支配されるものとなってしまう。今まだ絶望に身を任せていない人たちも、自分のことばかり心配になっていて、他人のことなど気にすることができない。かく言う私だってそのような状態です。こうした状況が長引けば長引くだけ、世の中は基礎の基礎のところから徐々に解体されていくのではないか。そんなことが本当に心配な世の中になってきました。

 暗いことばかり書き連ねたようですが、これでもかなり自己規制したつもりなんです。本当はもっと恐ろしいことがまだまだたくさんありますし、少なくとも2008年が明るい年になるとは到底思えない。でも、暗さを見つめることでしか、明るさに到達することはできない。多分、目を背けるのではなく、見つめることこそ必要なのではないかと思います。非力ですが、この一年、そのような気持ちで、仕事に邁進したいと思います。様々、助力をお願いしたり、お知恵を拝借したりすることになりましょうが、どうぞ、これまで通り、ご指導のほど、よろしくお願いいたします。

* 私がメディアを通じて定期的に何かをお伝えすることができる機会は、昨年4月以来、週に三回となりました。
J-WAVE「JAM THE WORLD」のナビゲーター(木曜日担当)、関西テレビ「スーパーニュース・アンカー」月曜日担当のコメンテーターに加え、昨年4月から、文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」の火曜日担当コメンテーターとしての仕事が加わっています。
  さらに今年、不定期ではありますが、いくつか出演が決定したり予定されたりしているものがあります。テレビでは、久しぶりに「サンデープロジェクト」(テレビ朝日・朝日放送)で、特集取材と出演が予定されている他、スタジオコメンテーターとしての出演機会があるかもしれません。また、「愛川欽也のパックイン・ジャーナル」(朝日ニュースター)も昨年同様、二ヶ月に一度くらいのペースで出演することになりそうです。以上、みなさまとテレビでお目に掛かり、ラジオでお耳に掛かるチャンスは決して頻繁ではありませんが、お時間がありましたら是非お付き合い下さい。


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ああ、ホンマに腹の立つ [ブランチ業務日誌]

  今日から送付が始まる「ねんきん特別便」テレビの番組などでその内容について紹介したりしているのを目にする。タイトルは敢えて言わないが、ある番組に出演した社会保険労務士が言っていたことが気になった。

  「年金加入状況のデータをキチンと見て、抜けている記録がないかよく思い出してもらい、返送して欲しい」というところまでは、まあちょっと引っかかるけど、「ああなるほどねえ、ふんふん」と聞いていたのだが、その話の最後に、「そうすれば年金が増えて、得するかもしれませんから」と嬉しそうに言ったので、椅子からずり落ちそうになった。

 断じて違う。記録が欠けていたとして、その訂正によって今振り込まれている年金が増額になったとしたら、それは本来給付されて然るべき金額に戻っただけであって、今まで損をさせられていたのを回復するだけのことだ。得をするのではない。そこんとこ、間違えないで欲しいね、専門家なんだから。ついでに言えば、司会者はキチンと訂正させて欲しかった。

 これまで年金を不当に減額されていた人も多いだろうし、そもそも給付を受けるための加入年限25年に満たないとして、一円の年金も支給されずに亡くなった人だっているかもしれない。今もって、そのために低収入で苦しんでいる人だっているはずだ。あまりにも可哀想だ。それらは総て、「年金受給権」という権利の侵害であって、一刻も早く正されなければならない。

 社会保険庁や市町村の窓口で「職員」という名のコソ泥たちにかすめ取られた保険料は数億円だが、グリーンピアなどの箱モノ中心に「合法的に」流用されてしまった年金保険料の方は6兆円以上。さらに厚生労働省年金局の官僚たちへの不当に高い「講演料」や「原稿料」、もしかしたらあったかもしれない水増し請求の見返りとして環流した「キックバック」、彼らの老後に捧げられた天下りへの給与や退職金、こんなものを足していったら一体いくらになるのか。年金会計は、厚生労働省年金局の官僚たちにとっての「食い扶持」であり、未来永劫、生活を保障してくれる「虎の子」。まさしく彼らにとっての「社会保障」、ただし過分で自分勝手な福祉制度だったのだと言わざるを得ない。我々は彼らの「出汁」に使われただけなのだろう。

 話は飛ぶようだけど、参議院で第一党になった民主党が、新テロ対策特措法に絡んで問責決議を通す云々の話があるけど、本当はこの間の福田総理や町村官房長官、舛添厚生労働大臣の許し難い「公約違反」自白に応じて、正面からぶつけるべきなんじゃないですかね。これこそ、世論の支持は絶対的だと思うよ。総選挙に持ち込めれば、大勝利、間違いなしだ。この前の参議院選挙では、自民党の「偽装公約」に騙されて投票しちゃった人も、今度ばかりはよく考えてくれるだろう。


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ホントにホントにお久しぶりです。 [ブランチ業務日誌]

  みなさん、お久しぶりです。実に八ヶ月、このブログの更新をサボっておりました。まあ、こうした場を設けておきながらずっと「開店休業」状態だったことについては言い訳のしようもないのですが、今年四月から文化放送の新番組(「吉田照美のソコダイジナトコ」)への出演(火曜日のコメンテーター)が始まり、関西テレビ、J-WAVEと併せ、自分の意見を言う場を週に三回もいただく幸運に恵まれたため、あらためてブログで言うべきことの次元をどんな風に考えたらよいのか、よく見えなくなっていたのだと思います。再開するにしても、またすぐに止まってしまうかもしれませんが(笑)、ときどき、覗いてみていただければ幸いです。

  さて、このところ、内田は国会や国会議員の取材を心掛けるようにしてきました。なにしろ、今度の臨時国会は、「ねじれ国会」の言葉に象徴されるように、非常に特殊な政治状況下で行われている。説明は敢えて省きますが、国会審議の内容が、常に政局とも直結する形で動いている。少なくとも、そのことを誰もが強く意識しながら行動していたわけで、少々興味本位的な言い方を許していただければ、実にワクワクするような状況だったのです。

  まあ、しかし、ねじれ国会だの越年だのと言いますが、防衛省と守屋前次官関連の疑惑追及が一巡したあと、薬害C型肝炎訴訟が和解と政治決断の局面を迎え、「宙に浮いた年金記録問題」が「公約違反」問題で再び高揚してくるまでの一時期、かなり弛緩した状態だったことも事実です。
  勿論、新テロ対策特措法案が今国会の最大のテーマであったことは間違いないけれど、例の「大連立」騒動の直後に行われた世論調査で内閣支持率が意外にも低下してしまったこと、さらに、大阪市長選挙での与党大敗という出来事があったため、とにかく解散・総選挙だけは何としても避けるということが第一課題になってしまった。となれば、如何に大切な新テロ対策特措法案であっても、「ま、別に今通さなくてもいいか」ということで、一時、緊張感が失せてしまった。さすがにいよいよ尻に火がついて、「衆議院の三分の二で再議決」とか「問責には法的効力はない」「国会再延長」と再び言い出すようになったと思ったら、二つの大問題が持ち上がってしまった、そんなところだったのでしょう。

  「薬害C型肝炎問題」と「年金(記録)問題」。この二つは、福田内閣の命運を左右する重大問題であるにも関わらず、政権の内部で対処法が十分検討されてこなかったのではないかと訝りたくなるほど、対応のまずさが目立ってますね。いや、それどころか、「宙に浮いた年金記録」の処理について公約違反を指摘されるや、福田総理を始め、町村官房長官、舛添厚生労働大臣と、この問題のキーマンたちは揃って狼狽してしまい、醜態を曝してしまった。これは一体なぜなのか。おそらくその背景には、夏の参議院選挙大敗北という苦い記憶、その記憶としっかりこびりついた年金問題のトラウマがあるんでしょうね。
というわけで、また再び内田は国会内や周辺をうろつくことにしたいと思ってます。ご報告は各番組の中で、あるいはこのブログですることにしましょう。また。


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