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検察審査会の強制起訴議決から予算委員会へ [ブランチ業務日誌]

 一言でいえば、「頑な」という印象の会見だった。

10月7日午後1時50分。100人以上の取材陣が待ち受ける議員会館内の一室。記者の多さに「おおっ」と声を上げながら入室してきた民主党の小沢一郎元幹事長は、「まず私から一言」と前置きしておよそ8分間、検察審査会の起訴相当議決後の心境と対応について語った。自身の離党・辞職については、「正式の捜査機関である検察」の1年余に及ぶ取り調べでも起訴に相当する犯罪がなかったことが証明されているとして、完全に否定。強制起訴を決めた検察審査会は「秘密のベールに閉ざされている」と批判した。ここ数年、「政治とカネ」問題での追及に対して常に同様の態度を表明してきた小沢氏も、今回は置かれている立場がこれまでと大きく違う。党の代表選で敗北し、閣内や党幹部に自身を支持する勢力の姿は無く、自分自身は刑事被告人としての数年間を過ごさなければならない。副大臣や政務官の中には数名の「仲間」がいるものの、むしろ菅・仙谷内閣の影響下に取り込まれていく可能性も否定できない。今のままでは政治的影響力の著しい低下は避けられそうにない。さらに、国会情勢次第では、菅内閣は証人喚問の形で「悪の権化」である小沢氏を衆人環視のもとに晒す可能性もある。そんなことになれば、頼みの小沢ガールズからも脱落者が出てくるかもしれない。であるならば、離党を「戦い方の一手段」として小沢氏自らが選び取る可能性もあるのではないか。党を離れることによって「けじめ」とし、それ以上の追及を避けることで影響力の低下を食い止める、そんな腹づもりで小沢氏自ら離党を匂わす可能性はないのか。それが会見に臨んだ私の予想だった。残念ながら、この日の会見の中からはそのような方向を示す兆しさえ感じ取ることは出来なかった。小沢氏は陥穽に填ってしまったのかもしれない。そんな考えが頭をかすめた。

そもそもことの発端である検察審査会の二度目の起訴相当議決を振り返ろう。

 10月4日午後に行われた民主党の小沢一郎元幹事長に対する検察審査会の議決内容が公表された。いきさつはどうであれ、強制起訴が決まったことの意味は極めて大きい。だがこの議決には、内容そのものとは別に、二つの注目点があった。

 まず、その議決の日付だ。9月14日というのは、議決が公表された10月4日のおよそ三週間も前。しかも、菅直人総理と小沢元幹事長の間で熾烈な民主党代表選が戦われた当日だ。もう一つは、その発表時期の早さだ。大方の推測するところでは、発表は10月末までずれ込むだろうと思われていた。政治的な影響の大きいこの種の発表は、少なくとも北海道五区の衆議院議員補欠選挙の結果(10月24日投開票)を待ってのことと想像されていたのだ。この二つの事実が、偶然の結果であると信じるのは難しい。どういうことか。

 議決が民主党代表選当日の9月14日に行われていたことにはどんな意味があるか。その日は、菅直人氏が引き続き代表となり、総理職を続けることが決まった日だ。逆に言えば、「政治とカネ」の問題でたびたびの追及を受けてきた小沢一郎氏がとりあえず総理大臣にならないことが確定した日でもある。小沢氏は議員票では菅総理に匹敵する支持を得たものの、地方議員や党員サポーターの票では苦杯をなめ、結果は惨敗。党内での影響力もやがては翳っていくに違いないと私には思われた。(選挙戦最終盤での菅陣営幹部の発言などからすると、菅陣営ではその数日前に結果について相当に正確な予測がなされていたと思われる。)そして、同じ9月14日に小沢氏に対する二度目の「起訴相当」が議決されていたのは、いわば「安心して」強制起訴という結果を招きうる状態になったからだったのではないか。検察審査会内部の方向性は既に「小沢強制起訴」で固まっていたとしよう。もしも小沢代表=小沢総理が誕生していれば、現職の総理大臣が政治資金問題で起訴されるという空前絶後の事態が生じる危険があった。いくらなんでも、総理を起訴せよと議決してしまえば、逆に検察審査会への批判が巻き起こる可能性がある。検察審査会側のある種の深謀遠慮が働いたという想像が成り立つように思われる。

問題はそのさらに先にある。三日後の9月17日に行われた組閣の内容だ。代表選で小沢氏を支持した民主党議員の中で、大臣に選ばれたのは、海江田万里氏他二人の計三人のみ。小沢グループ内からの起用は一人もなかった。やはり小沢グループ内からの要職起用がなかった党役員人事とあわせ、「挙党態勢の構築」が叫ばれる代表選後の状況にありながら徹底的な「脱小沢」人事が可能だったのは、小沢氏に対する「強制起訴」の結果について、菅総理や仙谷官房長官が事前に知っていた、あるいはその可能性の高さについて推察できていたからではないのか。実は、検察審査会法にはこんな規定がある。

検察審査会は、起訴議決をするときは、あらかじめ、検察官に対し、検察審査会議に出席して意見を述べる機会を与えなければならない。(第四十一条の六 2項)

 

つまり、今回出された二回目の「起訴相当」議決に際しても、検察官は事前に「起訴相当議決」があることを知っていたことになる。となれば、その情報は検察内部と法務省の組織を駆け上がり、最終的に官房長官、総理に届いていたとしても不思議はない。(当時の千葉景子法務大臣は、「聞いていない」という。検察組織から官邸に連なるインフォーマルな情報伝達ルートがあったのかもしれない。)

飽くまで想像だが、菅総理からすれば、小沢氏に対する「強制起訴」に道を開く今回の検察審査会議決は、小沢氏が代表選で敗北することが明確になった日から、組閣が行われる日までの間になされる必要があったのではないか。そしてそれは十分に可能だったということなのではないだろうか。

 では、小沢氏に対する二度目の「起訴相当」議決、つまりの強制起訴の決定が発表された日は、なぜ10月4日だったのか。

10月4日は、臨時国会での所信表明演説を終えた菅総理が、当初は欠席する予定だったASEM(ヨーロッパ・アジア会議)出席のため、ブリュッセルを訪問中のことだ。菅総理の予定変更はもちろん、尖閣諸島沖での中国漁船と巡視船衝突事件とその後の日中間の対立について、温家宝首相と接触するためだった。最終日のディナー後に、首脳同士の懇談(日本側は中国語が理解できず、中国側は日本語が理解できなかったので、実際には英語を理解する通訳同士の「懇談」に過ぎなかった。)が行われたことで問題が解決に向かう期待も膨らみつつある(一人拘留が続いていたフジタの社員も解放された。)が、逮捕・拘留していた中国人船長の釈放に至るプロセスは、お世辞にも評価できるものではなかった。総理の帰国待ちを余儀なくされた自民党など野党は、いわば手ぐすね引いて代表質問とその後の予算委員会審議で総理追及の準備をしていた。そこに、あらためて最大のテーマの一つとして、小沢氏の「証人喚問問題」が浮上したことになる。野党は一斉に「小沢問題」を追及しはじめた。「追及されたくないテーマ」を「追及させたいテーマ」に置き換える。狙い通りだったと言えば言い過ぎだろうか。

ところで、指摘された「政治とカネ」の問題に対し、小沢氏は、事実上、国会での説明を避け続けている。小沢問題は、民主党と菅内閣にとっての大きな弱点であり、野党からすればまさしく責めどころの一つに違いない。だが同時に、小沢氏の存在は、菅内閣にとってほとんど唯一とも言うべき貴重な政治的資源でもある。鳩山内閣の瓦解後、マニフェストの諸テーマが急速に輝きを失いつつある中、菅内閣の支持率上昇に貢献してきたのが「脱小沢」の明確化だった。となれば、臨時国会での補正予算に加え、次年度本予算の審議過程で完全に行き詰まると予想されていた菅内閣がねじれ国会を乗り切っていく上で、またしても小沢カードを切る場面が出てきたということにならないか。いや、小沢氏の証人喚問は、補正予算と関連法案通過のために仕方なく行うのではなく、逆に、補正予算のためと称して、小沢グループ解体を狙って行われるのかもしれない。

これまで菅総理は、小沢氏や鳩山氏が「政治とカネ」問題について十分な説明責任を果たしてこなかったことについて、「幹事長と総理をそれぞれ辞することで、政治家として重い判断をなされた」と庇ってきた。だが、臨時国会が始まってからは、野党からの証人喚問要求に対し「国会に関することなので、国会でご議論、ご決定いただく」と言うように変化している。総理としての判断を避ける言い方は、野党に対する全般的な低姿勢の延長にも聞こえるが、同時に、やがては証人喚問に応じると言っているようでもある。証人喚問に応じる代わりに補正予算を通す。そして小沢氏の政治的影響力はさらに小さくなっていく。

12日の火曜日からは予算委員会が始まる公算だ。同時に、12日は岡田幹事長が小沢氏から話を聞く日となる可能性も高い。菅内閣にとって一石二鳥の小沢カード、いよいよそのカードを切るタイミングが近付いている。

 *9日午前、鉢呂国対委員長は「政治とカネの問題でいつまでも不信の念を持たれないよう全力をあげたい」と述べ、初めて小沢氏の国会招致に前向きな姿勢を示した。証人喚問か参考人聴取なのか、あるいは政治倫理審査会なのか、今のところ明言していない。


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