SSブログ

(転載)ラムズフェルドの微笑み(1) [ブランチ業務日誌]


ようやく、ラムジーがクビになりました。

ラムジー、勿論、アメリカのラムズフェルド国防長官。

ブッシュ政権の対テロ戦争なるものに最も直接的な責任を負う国防長官。
アメリカ国民にとっては、イラク戦争の不始末に責任を追う立場であり、
イラク人その他の人々から見れば、アブグレイブ、ファルージャ、ハディーサを含む非道の数々、米兵による総ての残虐行為について、この男に一番の責任がある。

そのラムズフェルド氏の事実上の更迭を記念してというわけではありませんが、
かなり前にメルマガ「遠きよりに書いた記事の中から、
氏に関係のある内容のものを二回にわたって転載したいと思います。

*なお、私のメルマガ「遠きより」は先日廃刊とし、このプログに内容を引き継ぐことにしました。

まあ、記事というか、一部「妄想」(笑)を含めての駄文ですが、関心のある方は
お読みいただければと思います。

………………………………………………………………………………………………………
■ラムズフェルドの微笑み(1)

▼国防長官来日

 11月14日(2003年)、アメリカのラムズフェルド国防長官が来日した。戦
争が終結したはずのイラクから毎日のように米兵の「戦死」が伝えられ、反米感情の
高まりと占領の失敗が明らかになるなかでの来日。長官は、東京で小泉総理や石破防
衛庁長官、川口外相と会談したあと、沖縄の米軍基地を視察し、さらに韓国を廻る慌
ただしい旅程のなかにあった。来日当日、テレビのニュースは、官邸で小泉総理と対
面し握手する長官の姿を映し出していた。

 ニュースの映像を見ていて「あれっ?」と思うことがあった。応接用の椅子に座っ
ていた長官は、小泉総理が現れるとすぐに立ち上がったのだが、近付いてきた総理に
右手を差し出す直前、両方の掌(てのひら)を上着のポケットのあたりにササッと擦
り付け、汗を拭ったように見えたのだ。いつもの癖なのだろうか?どこかぎごちない
様子の長官は、握手をしたままカメラに向かって見せるおきまりのポーズでも笑顔が
引きつり気味で、この男のこれまでの図太さ(どう図太いかはこのあとに書き記す)
にそぐわない、不思議な印象を残した。

 掌にかく汗は神経性のものだ。これから起こることに対して、異常に緊張している証
拠だ。そんな汗をかいたまま握手をすれば、相手に見下されてしまう。だから、掌の
汗を拭う動作は、礼儀のためというよりは、弱みを握られまいとする防衛反応に近い。
小泉と会談することが何か強いストレスになっていたのだろうか。それとも、何か別
の気がかりなことでもあったのだろうか。

 国連を無視してイラクを襲撃したアメリカに対し、簡単に「支持」を表明した「属国」
ニッポンの政治指導者と会うからといって、何に緊張する必要があったのか。日本が
やがてブッシュ政権の要望に沿って自衛隊を派兵することは確実と思っていたはずだ。
日本の国会は既にイラク特措法を通しており、国内の反対論は強いものの、峠は越え
ていた。事実、小泉はその後、二人の外交官が射殺された事件を経て、12月9日、
重武装の自衛隊をイラクに「派遣」する基本計画を閣議決定した。

 確かに、戦後安全保障政策の根本的な転換とも評される一連の出来事のなかで、
小泉も少しは苦しんだようだ。この間、日本政府は、旗を掲げろだのフィールドに降りろ
だのと、ずっとアメリカにせっつかれてきたが、小泉ハムレットを悩ませたのは、ど
うすれば国内の反対論を収められるか、そしてイラクで自衛隊員の死傷者がでても自
らの権力基盤を失わないためにはどうしたらよいか、もっぱらそうした点だったのだ
ろう。イラクの治安状況が「改善」されるまで時間稼ぎをしたいということもあった
かもしれない。だが、少なくとも、国防長官を東京に迎えた段階で、小泉に「派遣断
念」の選択肢が残っていたとは思えない。

 では、ラムズフェルドの緊張の原因は何か?これが「国際政治解説」のコラムなら、
ブッシュ政権自体が窮地に陥っている状況とか、ラムズフェルドのミッションが、日
本や韓国の派兵・増派の時期を早めることにあったとか、そんな解説を試みるかもし
れない。実際、ラムズフェルドもブッシュ政権も、いい加減イラクから手を引きたが
っていたことは確かだ。しかし、「遠きより」は、全く別の「解答」を用意すること
にした。

▼あのとき笑ってさえいなければ

 ラムズフェルドは「作り笑い」で失敗する政治家である。最初の失敗は20年以上も
前、特使として赴いたバグダッドで、フセイン大統領に「拝謁」したときだった。今
回のイラク攻撃開始後、その当時の映像が、日本のテレビでは繰り返し放送された。
ラムズフェルドもまだ若く、政府当局者というよりも、むしろ国際ビジネスマン然と
していた。フセイン大統領と握手するラムズフェルドの顔の右側、口角がキッと上が
り、口元が大きく歪んでいる映像を記憶されている方も多いだろう。正面のフセイン
から見れば、満面の笑みそのものだったはずだ。アメリカ共和党政権とフセイン独裁
体制の「蜜月時代」を象徴する重要なシーン。この映像は、フセインの強圧政治がア
メリカの積極的な支援なくしては成立し得なかったことを示す証拠として、ブッシュ
政権のイラク攻撃を批判する文脈で、繰り返し報道された。

 おかげでこの映像を見た視聴者には《イラクの民主化》などという大義名分がいかに
欺瞞的なものか、はっきりと理解できたことだろう。ラムズフェルドとフセインの笑
顔の交歓は、反フセインの人々に対する容赦ない弾圧や殺戮をアメリカの共和党政権
が歓迎していたことの象徴となった。すっかり「戦意高揚」の具と化してしまったア
メリカのテレビネットワークがこの映像を流したかどうか、それは残念ながら分から
ない。しかし、どちらにせよ、自分の「作り笑い」の記憶、フセインの右手の感触を、
ラムズフェルドは失っていなかっただろう。そして、二度と見られたくなかったに違
いない。せめて、あそこで笑わなければ良かったのに。

▼無言の笑顔

 次の失敗は、今年(2003年)に入ってからのことだった。バグダッド空爆が始ま
る少し前、ラムズフェルドは「笑顔」で一世一代の大失態を演じている。

 アメリカの新型爆弾開発のニュースが流れたのは、3月10日過ぎのことだった。核
兵器を除く爆弾のなかで、最大の破壊力を誇るものだった。重さ9.5トン、輸送機
の尾部からパラシュートを付けて投下されるこの爆弾は、衛星を使って正確に目標ま
で誘導され、キッチリ地上1.8メートルの高さで爆発する、えげつない兵器だ。こ
れが爆発すると、周囲の半径650メートルでは何もかもが吹っ飛び、また酸欠状態
が発生することで、人間を含むあらゆる生き物が命を奪われるという。その名は
“MoAB“。Mother of All Bombs、つまり「総ての爆弾の母」であると報じられた。

 だが、この爆弾の名前についての報道は半分正しく、半分間違っていた。
MoABは最初から「総ての爆弾の母」と呼ばれたわけではなかったからだ。
それは“Massive Ordnance Air Blast“、つまり、「空中爆発大型爆弾」を略した、
およそ技術的な由来を持つネーミングだった。

 実は、アメリカは第二次世界大戦以後、一貫してこの種の大型兵器を開発し続けてい
る。1950年代には、なんと重さ19トンのT12という爆弾を開発。その後、ベ
トナム戦争で実際に使用された“Daisy Cutter“(6.5トン、正式名称はBLU-82)
を有名にしたのは、この爆弾一発でジャングルを切り開き、即席のヘリポートを作っ
たことだった。“Daisy Cutter“は、湾岸戦争でも11発使用され、また911以降
の対アフガン戦争では、タリバンが逃げ込んだ山岳地帯への空爆で使用された。こうし
た一連の巨大爆弾の最新型が“MoAB“だ。

 記者会見でこの兵器の「効果」について尋ねられたラムズフェルドの「答え」は、意
表をつくものだった。正面のテレビカメラを見つめてニヤっと笑ったまま、いつまで
も言葉を発しなかったのだ。長官がずっとニタニタと笑っているだけなので、記者た
ちはガヤガヤと騒ぎ始め、最後には笑い声が漏れたと記憶する。記者たちも長官の「意
図」を理解し、レーガンでも出てきそうな安っぽい西部劇を見る気持ちで、喝采した
のだ。嫌なものを見てしまった。

▼衝撃と畏怖

 色々な笑顔がある。しかし、このときのラムズフェルドの笑顔以上に醜い笑顔を見た
ことはない。イラクへの空爆作戦を「衝撃と畏怖」と名付けた長官は、大量破壊兵器
を突きつけられたイラク人が恐怖に逃げまどい、あるいは絶対的な攻撃力を示すアメ
リカに対する畏怖、すなわち敬意を含んだ恐怖心に震える光景を、さも嬉しそうに思
い浮かべたのだろう。

 たとえ戦争によるものであったにせよ、人が死の恐怖に囚われている状況を「笑う」
感覚は正常なものではない。この「笑顔」は、「衝撃と畏怖」作戦の一部でもあっただ
ろうから、ラムズフェルドがこの一件で叱責を受けたということはなかっただろう。
だが、この下品な笑顔を世界に向けて発信してしまったその瞬間、ラムズフェルドと
ブッシュ政権は道徳的な正当性を失ったと見ることができる。つまり、この瞬間、政
権は倫理的には崩壊してしまったのである。やはり、笑ってはいけなかった。

 勝手な想像だが、ラムズフェルドはどこかでそのことに気が付いたのではないか。あ
の男も、生まれてこの方ずっとあんな風であったわけはない。人は誰でも成長の過程
で、周囲の人間の死に接したり、あるいは物語や映画のなかで疑似体験したりするこ
とによって、死の重みを理解するようになる。肉親の葬儀に際して若者の振る舞いが
不適切であれば、親や口うるさい親戚によって厳しく叱られたりすることも、成長の
過程ではままあることなのだ。そうした叱責の言葉の一つでも思い出せば、ラムズフ
ェルドだって、自分の微笑が如何に不謹慎で不道徳なものか、気が付いたのではない
か。

 小泉と握手する直前に掌に汗をかいたラムズフェルドは、その直後に「笑顔」を作ら
なければならない緊張に耐えきれなかったのではないか。自分の笑顔の罪深さに気付
いてしまった長官には、そのことが大きなストレスになっていたのではないか。もち
ろん、これは希望的な観測に過ぎないことを断っておくことにしよう。

▼“MoAB“の呪い

 核兵器を除く兵器の中で最大の爆発力を持つ新型爆弾に対して付けられた名前には、
二つの恐ろしい因縁がまとわりついていた。なぜ「総ての爆弾の母」だったのか。そ
もそも“MoAB“は何を意味していたのか。ラムズフェルドの微笑みから始まったこ
の話は、想像を絶する展開を遂げる。以下、次号に続く。

          (「遠きより」第6号 2003年12月12日発行 より)


nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

メルマガ登録・解除
 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。