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混迷する移植医療の深い闇 [jam THE JAM]

    ラムズフェルド国防長官の更迭に際して再掲した「ラムズフェルドの微笑み」、多くの方に見ていただいたようです。感謝します。続きについては、早急にアップしますので、こちらの方も目を通していただければと思います。さて、とりあえず、今回はジャムザワールドのご報告といきましょう。

    11月9日のジャムザワールドカッティングエッジでは、アメリカ中間選挙結果の日本に対する影響ということをテーマに、月曜日のナビゲーター、角谷浩一さんと話しました。また、15MINUTESは、医療ジャーナリストの油井香代子さんと電話でつなぎ、スタジオには移植コーディネーターの菊地耕三さん(日本臓器移植ネットワーク理事)をお招きしました。移植医療については非常に大きな問題が提起されているわけで、出来るだけ様々な立場の方からお話を聞きたいと思っています。あるべき方向性についても、独り善がりにならないようにすることがかなり大切かと思います。以下、移植医療について、頭の中にあることを少し書き連ねたいと思います。

    今回の愛媛徳洲会病院における臓器売買事件や、そこに関与した万波誠医師による以前からの病腎移植問題は、日本の移植医療の前に立ちはだかる第二の壁ともいうべき出来事です(第一の壁は68年の「和田移植」。功名心にはやった医師が不必要な移植手術を行ったものと言われている)。この問題の解決を誤ると、移植はさらに何十年も現在の停滞から抜け出すことができないのではないか、そんな予感がします。

   「万波移植」については、スタジオに来てくださった移植コーディネーターの菊地さんもそうであるように、非常に憤慨している方が多い。それはそうです。移植に対する一般の信頼は、この事件以降、大きく失墜してしまいましたから。しかし、その反対側には、こうしたやり方も「緊急避難」的に許されると考える人たちもいて、万波医師の元患者たちなどは、万波氏を擁護する団体まで作った。これ、一筋縄ではいかない問題です。

    病腎移植については、「瀬戸内グループ」と称される医師の集団があったことが分かっていますね。つまり、予め、移植用の腎臓に対する個別的なニーズが万波医師のもとにあり、そのニーズを満たすために医師のネットワークが腎臓を供給する。「どこかに使える腎臓はないか」と鵜の目鷹の目なわけですね。そんな意識でいる医者が、まともなインフォームド・コンセントを行えるはずがない。当然、腎臓を「拠出」させる方向に患者を誘導していった可能性が高い。これがまともな移植であるわけがない。詐欺的と言ってもいい。倫理委員会もなければコーディネーターが絡むわけでもない、まさしく勝手に人の腎臓が人に移植されていく世界。そこに金銭が絡めば、すぐに、当初発覚した「臓器売買」的な状況が現出してしまうのは火を見るよりも明らかです。

  他方、9年前にできた臓器移植法によって可能になった、脳死段階での臓器移植。しかし、実施数は伸びていません。臓器提供カードの不足、遺族の不同意、実施医療機関の少なさ、15歳以下の臓器提供が不可能であることなど、様々な障害があるなか、決定的なのは、移植医療そのものに対する世論の反発が依然として解消していないこと。となれば、移植を希望してもほとんど実現しない「死体腎移植」(脳死後の移植と心停止後の移植の双方がある)に見切りをつけ、「目の前の患者を救ってくれる」万波医師のような人に頼ろうという患者の気持ちも実によく理解できる。患者のなかには中国での死刑囚からの移植を試みる人もいるわけで、海外で行われるそのような問題のある移植に比べれば、まだ良心の呵責に苛まれることもない。いや、むしろ、本人が「取り去って欲しい」という腎臓を、まだ使えるのに捨ててしまうのは勿体ないではないかという考え方も成り立ちうる。

  というわけで、今回の問題に、社会の側がどんな形で決着をつけるにせよ、問題そのものの根は余りにも深く、それで一件落着とはなり得ないのです。



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