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(転載)ラムズフェルドの微笑み(2) [ブランチ業務日誌]

「ラムズフェルドの微笑み」の第二回目を転載します。このあと、本当なら第三回、第四回と続くはずだったのですが、一つにはアメリカ取材が必要になってきたこと、二つ目には私の根気がなくなってしまったこと(恥)で、「休載中」ということになります。この先、もし書けるようなことになれば、このブログで公表することにしたいと思います。気長にお待ちください(笑)。

   突然ですが、福島県知事選挙で、前参院議員の佐藤雄平氏(民主、社民推薦)、
   大差で当選のようですね。民主党は、衆議院の補選で二連敗後、相当な危機感で
   臨んだようでした。来週の日曜日は、沖縄県知事選挙の投開票日です。


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■ラムズフェルドの微笑み(その二)~”MoAB“の呪い~■

▼前回は、来日したラムズフェルドのちょっとした仕草からとき起こし、彼が自分
の「笑顔」の罪深さに耐えきれず、掌に汗をかいてしまったのではないかと大胆な想
像をしてみた。そして、その罪深い姿を世界に晒したのは、”MoAB“発表の記者会見
の場、「無言の微笑」という下品なパフォーマンスだった。半径650メートル以内に
ある命という命を、一瞬にして奪ってしまう残虐な大量破壊兵器”MoAB“。その効
果を尋ねた記者に対して、国防長官はニタニタと無言の笑いで応えていた。その爆発
がもたらす「衝撃と畏怖」の大きさに逃げまどい、ひれ伏す、哀れな「イラク人ども」
を嘲笑うかのように。

  ”MoAB“という言葉はもともと“Massive Ordnance Air Blast“、つまり「空中爆
発大型爆弾」の略称だった。しかし、そのことはほとんど報道もされず、人々の記憶
にも残らなかった。逆に“MoAB“という略称から、実際とは違う「元の名前」が新た
にひねり出されていた。それが、Mother of All Bombs、つまり「総ての爆弾の母」だ
った。この異様な名前はペンタゴンによって新型爆弾のニックネームとして用意され、
世界中のメディアも面白がり、こぞって取り上げることになった。喩えて言えば、一
種の駄洒落だった。ここまでは前回既に書いた。

  しかし、なぜ「総ての爆弾の母」でなければならなかったのか。あの巨大な爆弾か
ら次々と「子」爆弾が生み出されるとでもいうのか。いや、そのようなことなら、文
字通りの「親子爆弾」が別にある。今回のイラク攻撃でも使用された残虐なクラスタ
ー爆弾のほうがずっと「爆弾の母」のイメージに近い。「親爆弾」の中から200個以
上の子爆弾が飛散し、数百メートルの範囲で連続的に爆発するあの兵器だ。しかしな
がら、”MoAB“にそのような「機能」はない。ではなぜ、「総ての爆弾の母」なのか。
実は、”MoAB“という言葉には、イラク攻撃の意味付けにまつわる、深い因縁が隠さ
れていた。

▼フセイン大統領の手紙

  ネット上に「日本アラブ通信」(
http://www.japan-arab.org/)というサイトがある
のをご存じだろうか。アラブと関わって50年、日本一の「アラブ通」で、イラクを
はじめ各国の大使館勤務経験をもつ阿部政雄氏が主宰している。ここに、先日、アメ
リカ軍によって身柄を拘束されたフセイン元大統領の書簡が残っていた。「サダム・フ
セイン大統領から西欧諸国民と政府への書簡」(2001年10月29日付)と題する
この書簡は、ニューヨークとワシントンを襲ったあの同時多発テロから50日あまり
後に出されている。

  書簡の中身は、911を口実にしたアメリカによるアフガニスタン侵略を非難し、
アメリカの攻撃から世界を救わなければならないと訴えている。また、湾岸戦争以来、
イラクとアラブ民族がアメリカと戦ってきたこと、そして「もし米国がいつかイラク
を敗北させるようなことになれば、米国は無益なレベルにまで自国を持ち上げるため
の更なる虚栄を求めただろうし、それは米国をこのうえなく奈落に近付けるであろう」
と「警告」している。既にこの段階で、フセインは自らに対してさらなる大攻撃が仕
掛けられること、そして最終的にはアメリカの破滅をも「予言」している。

  ところで、筆者は今、「湾岸戦争以来」と書いたが、実は、フセインはその言葉を
使っていない。我々が「湾岸戦争」と呼ぶあの戦争のことを、フセインはどこでも決
して「湾岸戦争」とは呼んでいないのだ。その代わりに使われているのは、アラビア
語で「ウム・アルマァリク」という言葉だ。「ウム・アルマァリク」とは何か。

  「ウム・アルマァリク」の「ウム」は母、「マァリク」は戦争、「アル」は定冠詞だ
から、「ウム・アルマァリク」は「戦争の母」であり、定冠詞の部分を強く訳出すれば、
「およそ戦争なるものの母」つまり「総ての戦争の母」となる。阿部政雄氏によれば、
英文表記では実際に”Mother of All Battles“ になっていると言う。つまりイラクの
旧政権は、あの湾岸戦争のことを、「総ての戦争の母」と呼んでいた。そして、
”Mother of All Battles“を略せば、”MoAB“となる。

  再び阿部氏によれば、フセインがそのような呼称を使用する意味は明らかだ。つま
り、あの戦争の意味は、クウェートに侵攻したイラクに懲罰を与えるために「国際社
会」が一致して行ったことにあるのではなく、史上初めて、イスラム教勢力とユダヤ・
キリスト教勢力による世界規模の戦争であったこと、つまり、そのような宗教上文明
上の戦いが開始された点にあるのだという。

  確かに戦争中イラクは、スカッドミサイルをイスラエルに撃ち込むなど、戦闘の意
味を〈イスラム教対ユダヤ・キリスト教〉の対立図式に読み替え、アラブの団結を訴
えていた。その点に活路を見出そうとしていたということもできる。しかし、「総ての
戦争の母」という捉え方は、2003年3月20日に始まった米英軍によるイラク攻
撃とそれに続く現在の戦闘状態をも事前にイメージしたものとみることができないだ
ろうか。西側社会が「湾岸戦争」と呼ぶあの戦争は、アラブ社会と西欧社会が戦う「文
明の衝突」の口火を切ったものと評価され、そこから両者の長い戦いの歴史が始まる
という「歴史観」が浮かんでくる。(因みに、湾岸戦争に対するこうした捉え方はフセ
イン元大統領の独創ではない。例えば、モロッコの著名な国際政治学者でユネスコの
事務次長であったマフディ・エルマンジャ教授の考え方にも現れている(教授の『第一
次文明戦争』がお茶の水書房から刊行されている)。

  湾岸戦争とそれに続く10年以上の経済制裁や断続的な空爆、さらに今回のイラク
攻撃をもってしても、なるほど戦争は終わりそうにない。「大規模な戦争の終結」が宣
言された昨年5月以降も、戦火は止まず、米兵の死者は増え続けている。いや、むし
ろ、米軍にとって勝利することが最も困難なゲリラ戦が、今まさに激しく戦われてい
ると捉えることもできるだろう。イラクの地は既に、世界中のイスラム原理主義者に
とっての「自爆の聖地」と化したかのようでもある。こうしたことを思えば、フセイ
ンの「予言」、いや、イスラム社会の側からの捉え方は、不気味にも当たりつつあるよ
うに思えるではないか。

▼「戦争の母」から「爆弾の母」へ

  少し、説明が回りくどかったかもしれない。だが、もうお分かりだろう。10年以
上前の「湾岸戦争」をイスラム社会は「ウム・アルマァリク」、つまり「総ての戦争の
母」と理解した。そして、「総ての戦争の母」イコール”MoAB“だった。フセイン政
権の息の根を止めるべく開始された今回のイラク攻撃に際して、アメリカは「衝撃と
畏怖」作戦の象徴である巨大爆弾を”MoAB“つまり「総ての爆弾の母」と敢えて表
現した。イスラムの戦争観、戦争理解を嘲笑し、ある種の駄洒落でもって応えること
がその目的だったものと考えられる。この「もじり」からは、アメリカ国防総省の品
のない「宣戦布告」が聞こえてくるではないか。「この戦争はお前が言う”MoAB“つ
まり〈終わりのない戦争の始まり〉ではない、お前の政権は確実に終わるのだ。”MoAB
“とはこの戦争のことではない、この爆弾のことなのだ。今からこの爆弾でお前の政
権を吹っ飛ばしてやろう」という声。そして、その奥に、常に、ある男の「笑い」を
感じとることができる。ラムズフェルドの微笑を。

  *カタールの衛星テレビ「アル・ジャジーラ」によると、つい6時間ほど前、日本
  時間の24日午後10時半頃、バグダッド西方150キロ、ラマディの幹線道路
  で、米兵約20人を乗せた兵員輸送車に4輪駆動車が突っ込み、爆発した。自爆
  攻撃と見られ、米兵3人が死亡、6人が負傷したという。米軍に対する自爆攻撃
  は、昨年5月の大規模戦闘終結宣言以降初めてだ。

▼もう一つの”MoAB“

  実は、”MoAB“の呪いはもう一つあった。「総ての戦争の母」を「総ての爆弾の母」
に読み替えたラムズフェルドは、もしかしたら無意識に、全く別の「もじり」をして
しまっていた。恐るべき意味の連鎖。以下次号に続く。

                (「遠きより」第8号 2004年1月25日発行 より)


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