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原発の素顔 ~二十五年前にフクシマを見た~ [ブランチ業務日誌]

  二十五年前の一九八六年九月のある日、私は東京電力福島第二原子力発電所の当時建設中だった四号機建屋(たてや)に向かっていた。未だに事故が収束しない第一発電所ではなく、南に十数キロ離れた第二発電所だ。

  作業員用の入り口から内部に入り、防護服にヘルメットを被り、被曝線量を計るための線量計を持たされる。細い通路を進みいくつかの扉を開けると、突然視界が開け、ガランとした大きな空洞に至る。前方に進むと、ガラス板を隔てた先で、巨大な鉄の瓶のようなものがクレーンでつり上げられた状態にあり、ゆっくりと横に移動したあと、おそらくは予定の位置に到達し、そこから少しずつ、注意深く、下の方に降ろされていった。よほど緊張を要求される作業なのだろう。機械音に混じって聞こえてくる、現場監督が作業員に指示しているらしい声や、何かの危険を知らせるかのような警笛の音にも、ひどく張りつめたものが感じられた。直径一〇メートルくらいはあるだろうか、大きな瓶の蓋の部分はケバケバしい黄色に塗られて人を威嚇するかのようであり、建屋の四角い空間のなかで宙に浮いているように見えた。大きな瓶は不思議な存在感、いや、異物感のようなものを発散していた。

  この大きな瓶こそが「格納容器」と呼ばれるものだった。「格納容器」とは、深刻な事故が起こった場合にも放射能が外部に漏れ出さないよう、内容物を閉じ込める「最後の砦」ともいわれる。有り体に言えば、鋼鉄製の巨大なカバーだ。

  格納容器の中央には、ウラン235の核分裂反応を連鎖的に起こし、それによって生じた熱で水を高温の水蒸気に換える装置、原発の中枢である「圧力容器」が納められている。この日、まだ燃料棒がセットされる前の段階だったので、圧力容器の下部に潜り込むことができた。原子炉といえば、今回の原発事故の報道で何回となく目にした格納容器や圧力容器の模式図をイメージされるかもしれないが、そのような印象とは違い、そこは何本もの配管と配線によって囲まれた狭い空間で、容器の底からは制御棒を収めたシリンダーが何本も突き出ていた。沸騰水型軽水炉と言われるタイプの炉では、核分裂反応を止める制御棒が圧力容器の下から燃料棒の間をせり上がってくる仕掛けになっている。そのことを知らなかった私は正直驚いた。制御棒は上から落とされるものと完全に勘違いしていたのだ。この場所は、燃料棒がセットされ、制御棒が引き抜かれて稼働してしまえば大量の放射線が飛び交う場所となり、二度と人間が近付くことはできなくなるということだった。制御棒という、最も基本的な安全機構が機能する場でありながら、人が近づけなくても大丈夫なのか、心配になったことを記憶している。

  私が原子力発電所の中に入ったのは、テレビ朝日による取材の一環だった。前年に始まった新しいスタイルの報道番組「ニュースステーション」のリポーターとして、番組ディレクターたちと一緒に取材に加わった。この取材には報道局の記者や論説委員、他の番組スタッフなども参加していて、かなり大きな取材体制だったように記憶する。私たちニュースステーションの取材班は飽くまでいつもの番組作りの形をとり、インタビューやリポートの撮影に発電所内を動き回った。普通、電力会社はなかなか原発内部を見せたがらないとされていたが、建設中の福島第二発電所四号機を取材しないかという提案が東京電力の方からなされ、異例の取材が実現したとスタッフから聞かされていた。ただしテレビ局側からすると、こうした経緯で撮影されたものをそのまま放送した場合、どうしても宣伝臭が強くなってしまうので、最初から放送するつもりはなく、「資料として撮影、取材する」だけと決めていたようだった。大スポンサーが相手だとはいえ、メディアとして必要な最低限の緊張感は保っていたということなのだろう。そのあたりは東京電力側も総て承知のうえだったと思う。あるディレクターなどは「ここで原発事故が起こったときに、素材として使われるだろう」などと冗談のように言っていたほどだ。だが、この言葉は二五年後の今年、本当になってしまった。二五年前の私のリポートがテレビ朝日の夕方のニュース番組内で流された。ただし、勿論、隣の福島第一発電所の大事故にかこつけての放送だったが。

  東京電力がテレビカメラと取材者を招き入れた狙いは明らかだった。自社の原発の安全性アピールだ。

  一九八六年は原発の歴史の中で特別な年だった。四月二六日、旧ソ連のチェルノブイリ原発が爆発炎上し、世界中に放射性物質を撒き散らす大事故を起こしたからだ。原発の爆発はアメリカの軍事衛星がキャッチし、やがて事故の存在を旧ソ連当局が認め、映像が配信されて世界中にショックを引き起こした。被害の実相が明らかになるのはずっとあとのことだが、事故直後から原発保有国はあらゆる意味での対応を余儀なくされた。既に原発大国となっていた日本でも、電力会社と政府は「日本の原発も危ないのではないか」という国内の世論、強い疑念に晒されることとなった。テレビも新聞も、チェルノブイリ原発が爆発して飛散した放射性物質が日本にも到達したことについて繰り返し報道していたし、国内の原子炉の危険性についての議論もあった。

  前年の八五年一〇月にスタートしたテレビ朝日の新しい報道番組「ニュースステーション」は、どちらかといえば権力批判の雰囲気を漂わせた番組であり、朝日新聞の比較的リベラルなイメージ、歯に衣着せぬ物言いで人気が高かった久米宏キャスターという存在もあり、原発問題を批判的に取り上げることが少なくなかった。チェルノブイリ事故から五ヶ月、東京電力としては、原発に対して最も批判的なテレビ局と最も批判的な番組を招いて発電所内部を公開し、とくに、自慢の「格納容器」を「絶対安全の保証」として認知させようとしたのではないかと推測する。東京電力の担当者は「チェルノブイリと違って日本の原発は格納容器によって守られている」という意味のことを繰り返していた。

  東京電力は、未熟なリポーターであった私に対しても、担当の社員を一人付けてきた。取材が終わったあと、彼は頻りに私の感想を聞きたがった。どんなことでもよいので、批判を聞かせて欲しいということだった。取材経験も少なく、また典型的な「私立文系」である私に科学的な意味で有効な批判は不可能だったので、乱暴を承知のうえで次のようなことを話した覚えがある。

  「最先端の科学で成り立っている原子力発電所の職場に、なぜ、こんなにたくさんの人たちが立ち働いているのか?」

  稼働中の他の原子炉を含め、四つの炉に対して常時、三〇〇〇人の労働者が働いていることを所長のインタビューで聞き、気になっていたのだった。核分裂の臨界状態を制御するほどの最先端の科学技術を駆使していながら、なぜに現場は「人海戦術」の様相を呈しているのだろうか。どうもバランスが良くない、と。彼は熱心に聞いてくれていたが、おそらくは発電プラントというものを理解しない無益な質問と受け取ったのだろう。だが、私にとって「現場に人が多い」ことは、原発を理解する重要なキーワードとして、その後も頭にこびり付いたままだった。

  建設中の四号機で働いていた人たちは通常の意味での原発労働者ではない。だが、四号機建屋内部で大勢の人々が仕事をしている光景は、その後も長く私の「原発」感を支配した。特にヘルメットを被り白っぽい防護服に身を包んだ大勢の作業員が格納容器のまわりを取り囲み、それぞれの分担をこなしている様子は、取材当時から、何かに似ていると気になっていたのだが、それが何なのかハッキリしなかった。少し後になり、それはテレビの動物番組で観たシロアリの巣の様子、それも深奥部の様子ではないかと思い至った。波打つ巨大な腹を横たえたシロアリの女王蟻と、その女王蟻に仕え、ひたすら産卵を促す働き蟻。次々と生み出されるシロアリの卵。人工物の一つに過ぎない原発心臓部から受ける印象は、むしろ際限なく卵を産み続ける女王蟻のように、生命体の持つ艶めかしさそのものだった。そして、目の前の黄色い瓶にいったん火が入れば、実に一〇〇万キロワット以上の膨大な発電能力を発揮する凄まじさ。そこには見た目以上の大きな力、計算を許さないような神秘的な力が宿っているようにも感じられた。

 こちらの方は東電担当者に話さなかったが、同時にもう一つ、原発に関する別の印象も浮かんでいた。原発の仕組みを一通り説明されればすぐに気付くことだが、原子力云々といっても、要するに湯を沸かして発電するだけのことではないか。つまりこれは、「原子力瞬間湯沸かし器」なのだと。核エネルギーの解放という途方もない事象を高い技術で制御しながら、結局はお湯を沸かして高温高圧の蒸気を作るだけではないか。このアンバランスは、原発の最も基本的な問題を指し示しているように私には思われた。お湯を沸かすならもっと簡単な方法が他にいくらでもあるし、核エネルギーを利用する最も相応しい形は核兵器でしかあり得ない。古くから指摘されたことだが、「核の平和利用」という言葉自体に大きな矛盾が含まれているのではないか。原発が引き起こす大小の事故やトラブルの遠因は、そうした矛盾に発しているのではないだろうか。
 
  東京電力の原子力発電所はその後、福島第一第二、柏崎刈羽を問わず、臨界事故を含む様々な事故やトラブルを起こし、また事故隠しや検査データ捏造のはてに全一七機を止める屈辱を経験し、二〇〇七年七月の新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽では放射能漏れ、そして今回、東日本大震災と津波の直撃を受けた福島第一がチェルノブイリに匹敵するレベル七の深刻な事態に陥り、今も終息に至っていない。二五年前の当時にそのようなことが想像すらできなかったことは言うまでもない。

  今、日本中の原発にチェルノブイリの時以上の疑念の眼差しが注がれている。巨大地震の想定震源域の中央に立地する中部電力・浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)は既に菅総理の要請により、全機が運転を一時停止した。地震による重大事故という点では日本中、どこの原発も同様の危険を抱えていると見た方がよいようだ。いよいよ原子力発電そのものから抜け出すときがやってきたのかもしれない。(2011年6月8日脱稿)

                                  ( 『「群系」』二十七号所収)


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