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出先からのアップです。色々間違いがあるかもしれませんが、とりあえずお届けします。タイトルを考える時間がありませんでした。明朝までに加筆修正するつもりです。

【20150311】

 〔はじめに〕

東日本大震災から4年の今日、各紙は当然のように震災と原発事故関連のニュースを集中的に掲載している。しかし、いつもと同様、その「載せ方」、分析の視点は様々で、実に「個性的」だ。犠牲者を思う遺族や友人たちの癒えぬ悲しみ、あるいは故郷への帰還を熱望する数多の声、他方で、移住して新天地に期待する決意。それぞれの個別ケースを通じてそれらのことが語られるなか、課題として各紙ほぼ共通して指摘するのが「復興の遅れ」だ。では、各紙が指摘する「復興の遅れ」の中身は何だろうか。今日の各紙を評価する視点はそれ以外にはないだろう。

 【朝日】、1面トップの写真は印象深い。岩手県陸前高田の「奇跡の一本松」後方、かさ上げ工事に使われる巨大ベルトコンベアーが漆黒の夜空を背景に光っている。夜間も稼働しているのだろう、ヘルメット姿の作業員の姿も小さく写っている。「復興へ光を」の大見出しの横に添えられた短いリードの主旨は、「災害公営住宅の完成が15%にとどまる」との一点だ。いまだに23万人の人々が仮設住まいを余儀なくされているという、信じがたいような現実。その数の多さには「復興の遅れ」などという冷静な言葉は似つかわしくないと思われるほどだが、とにもかくにも、《朝日》は、今も避難を続ける数多の被災者に思いを寄せた作りになっている。メディアとして正しい選択だと思う。

 だが、1面全体で観ると、どうもピントがずれているように感じられる。1面。写真の下に、東北復興取材センター長という肩書きの仙台総局長によるコラムがある。「4 見えてきた現実」とのタイトル。復興の形が見えてきたからこそ実感される三つの現実なるものについて書かれている。三つとは、「高齢化」「過疎化」「原発問題」。なるほどと思わせるが、その次元に戻ってしまうのはどうなのか。三つとも、「見えてきた」のではなく、震災前から「存在する」大問題。そこを解決してこなかった我々の社会の問題に切り込んでいただきたいものだ。しかも、結論はヤケにシンプルだ。「広域かつ多様な現場に、共通の正解などない」ので、自治体への権限と財源の委譲を求め、「その先に、もっと住民が主役だと実感できる復興がある」という。「気の利いたこと」を言いながら、実は何も主張していないという、時折見かけるタイプの論説になっている。

それにしても、《朝日》はもっと何か特別な日だという印象を読者に持ってもらう工夫はなかったのだろうか。朝刊全体、あまりにもお行儀が良すぎる。

 【読売】は、ある意味で、実に分かりやすい。1面トップの見出しは「防潮堤37%未着工」。「復興の遅れ」に関して、《読売》が最大の問題と考えたのは、どうやら土木公共事業そのものの遅れだった。対応する記事が23面に展開されていて、「復興 防潮堤待てず」「街づくり先行 住民不安」などの見出しが躍る。記事の中身は、要するに「早く以前より高く頑丈な防潮堤を作らなければ大変だ」という話。地震や津波を「かわす」とか「いなす」という発想はどこにも出てこない。さらに、「防災技術 官民で輸出」(!)の記事には驚かされた。この奇妙さはいったい何なのだろうと考えて、ハタと思いついた。これはつまり、最近あまり聞かれなくなったけれども、アベノミクスの第二の矢「公共事業」(ないしは「国土強靱化」)と第三の矢「成長戦略」の復興バージョンなのではないか。大津波の恐怖を言い立てることによって批判を封じつつ、巨大公共事業をそれこそ津波のように推し進め、併せて、成長戦略のもとに様々な規制緩和を強行したり、あるいは使えるモノは何でもとばかり「輸出産業」を仕立て上げたり。安倍政権の設定した枠組みで現実をスキャンし、安倍政権の方針に従って問題を設定する。まさしく、「新聞界のNHK」とでも言いたくなる徹底ぶりだ。こんな記事ばかり読まされていたら、政府から見て、実に「物わかりの良い」国民ができあがることだろう。そこが本当に心配だ。

 【毎日】は、1面トップに「私の決意」と題した特集を置く。震災後の石巻で医療に従事して過労死し、のちに震災関連死と認定された外科医の娘が、父の意志を継いで医療ソーシャルワーカーになりたいとの夢を語っている。彼女の弾けるような笑顔が印象的な1面。震災4年の日の《毎日》は、各面、原則、見開きの左右両端に「私の決意」を配し、震災を契機に「新たな行き方を見つけ、一歩を踏み出そうとする人たちのメッセージ」が掲載されている。1面の女性を入れて、全部で20人へのインタビューを紹介している。

 1面左に「再生エネ30年2割超」記事。経産省が、電源構成を議論する有識者委員会に示した見通しについてのニュース。買い取り制度を骨抜きにした安倍政権のエネルギー政策の行き着くところが、こんな「数値目標」になっていくということは記憶しておく必要がありそうだ。もう一つ、1面下の「余録」(《朝日》なら「天声人語」、《読売》なら「編集手帳」、《東京》なら「筆洗」に当たるコラム)で、「復」と「興」の二文字を、その字義からひもとき、「復」は死者を呼び返すという意味、「興」には地面に酒を注いで地霊を呼び起こす儀式という意味があることを紹介している。白川静「字統」を使ったコラムは目新しいものではないが、311の日に相応しい内容になっている。

 【東京】は「東日本大震災4年」のバナーを朝刊各面の関連記事の場所に全て配置し、全体に統一感を持たせる工夫をしている。

 1面トップに掲載された写真は、夜間、自社の航空機から撮影されたもの。高度9000メートルで、福島第一原発から東京都心を見晴るかす、壮大な構図。写真のタイトルは「復興
途切れ途切れ」。確かに、福島県内に見える光の塊は、事故収束に向けた作業が続く第一原発周辺と第二原発、あとはいわき市ぐらいで、遠くに見えているのは栃木県宇都宮市の光、そして光の渦が反射して雲に照り映えるほど明るい東京都心。対照的に、福島県内、原発20キロ圏内の多くは闇に閉ざされているかのように暗く、また光の点があっても線につながらない。東京中心の「繁栄」が何を犠牲にして成り立っていたか、まざまざと見せつれられる思いだ。

同じように、途切れ途切れながらも、福島から東京に続く細い光の道。確かに写真に写っているのは全線開通した国道6号の光に違いないのだが、むしろ、かつて福島の10基の原発から東京に送られ続けていた電気の幻のようにも見える。原発と福島にまつわる問題を徹底して追い続けてきた《東京》の出発点が、この映像に凝縮されている。この写真を冒頭に掲載したところに、東京を本拠とし、東京新聞と名乗り続けてきたこの新聞社の決意のようなものを感じる。

 4面に、城南信用金庫の吉原毅理事長と東京新聞の井上能行編集委員の対談(上)が載っている。人助けを「本業」と捉え、これまで役員職員を問わず1000人を東北での支援活動に派遣してきた城南信金の吉原理事長と、福島駐在の専門編集委員としてずっと福島を取材し続けてきた井上編集委員の対談。《東京》から東北へ、資金や人の流れを持っていくことの重要さを認識させられた。(井上さんは私が『デモクラTV』で東京新聞とともにプロデュースする『熟読!東京新聞』(毎月第3木曜日21時から1時間の生放送)の常連出演者。3月19日の『デモクラTV』にもご出演予定。)

補遺

《朝日》。メルケル発言についての海外メディアの反応記事が面白い。中国や韓国のメディアが「過去の直視を忠告」という内容で報じたのは想像通りだが、ヨーロッパのメディアがメルケル氏は「外国への助言がしばしば逆効果になると知っており、日本批判を敢えて避け、ドイツの選択の正しさを説明する道をとった」とし「礼儀正しく批判を試みた」(南ドイツ新聞)とか、氏の発言を、近隣諸国との緊張関係を抱える安倍政権に過去との向き合い方を暗に助言したものと捉えて報じたりしているという(BBC)。さらに英フィナンシャルタイムズ紙は、「日本が第二次世界大戦をどう記憶するかの議論に介入した」と報じたという。

《朝日》や《東京》を除く他の日本メディアの多くが、歴史認識問題について「メルケル氏は注意深く距離を置いている」としか書いていないのと実に対照的だ。「日本のメディアは震災後4年経っても、まだ嘘を付き続けている」と指弾されているような気がする。 

 


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